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「令和の学校」ってどんな学校 No64 三重県立伊賀白鳳高等学校

2009(平成21)年4月に、上野工業高校、上野商業高校、上野農業高校の三重県立3校が集結し、三重県立伊賀白鳳高校が誕生した。その3校について少し触れてみる。まず上野工業高校は、1944(昭和19)年に上野工業学校として開校、戦後の学制改革により、三重県上野工業学校・上野市立高等女学校・上野市立農学校が統合され、1948(昭和23)年、三重県上野南高校が開校。翌年上野北高校と再統合され、三重県立上野高校になった。1951(昭和26)年、新しく三重県上野商工高校が開校したが、1964(昭和39)年、商業と工業が独立し、上野工業高校の開校となった。また、上野商業高校は1933(昭和28)年に上野商業学校として開校。その後上野工業学校等との統合などが行われ、工業が分離独立したのに伴い、1964(昭和39)年に、上野商業高校が開校となった。一方、上野農業高校は、1973(昭和48)年、上野高校と名張高校の両農業学科を統合して、農業科・園芸科・農業土木科を設置し、開校。その後学科改変等を行い、2006(平成18)年に食農科学科と景観園芸科の2学科となった。3高等学校は長年にわたりそれぞれの学校が伊賀地域での職業教育の中心として人材育成を行ってきた。こうした歴史と伝統のある3校の統合校として、伊賀白鳳高校には地域の大きな期待がかかっている。創立14年を迎えた伊賀白鳳高校に第5代徳田嘉美校長を訪ね、いろいろと話を伺った。

12月末に開催された全国高校駅伝。選手は素晴らしい活躍だったが。
1区の選手が先頭集団で頑張っている様子を映像で見、応援していたが、途中で映らなくなったので、心配していた。どうやら転倒か何かのアクシデントがあったらしい。でもそれから後の選手が遅れを取り戻してくれた。選手が助け合い補いあいながら、それぞれが自分の持てる力を最大限発揮する姿勢は、私の口から言うのはおこがましいが、「さすが白鳳の生徒」と誇らしかった。

伊賀市役所を始め、市内を走っている姿をよく見かけるが。
もちろん監督の先生の指導もあるが、選手が自主的に練習を行っているのは、他の部活動でも同じである。これが本校の部活動の強さかもしれない。現在、本校には17の運動部と14の文化部がある。運動部では県大会やブロック大会、全国大会をめざす部も多く、熱心に練習に取り組んでいる。また、文化部においても、全国大会に出場する部や部活動で製作した作品を販売する部も出てきた。今、部活動については、いろいろと課題が指摘されているが、先生方の熱心な指導と生徒のやる気や自主性、そして保護者や地域の理解が大切であると思う。高校の3年間運動部や文化部の活動を通して、自分の好きなことを精一杯楽しみ可能性を伸ばし、そして今しかできないことに全力で取り組むことが部活動の意義だと私は思う。

3校が統合されてできた学校であるが、現在ある学科は。
本校は、工業、農業、商業、福祉について学ぶ学校で、工業では機械科・電子機械科・建築デザイン科、農業では生物資源科・フードシステム科、商業では経営科、福祉ではヒューマンサービス科の7つの学科を有している(2023年度の募集人員は、経営科が30人で、それ以外の6つの学科はそれぞれ35人)。更に、電子機械科には「ロボットコース」「電気工学コース」、建築デザイン科には「建築・インテリアコース」「デザインコース」、フードシステム科には「フードサイエンスコース」「パティシエコース」、ヒューマンサービス科には「介護福祉コース」「生活福祉コース」の8コースがある。本校の特色としては、1年生で「産業技術基礎」科目による全7学科・8コースの体験・学習を通して様々な産業について学習するミックスホームルーム、1年の2学期からコースに分かれ学習、2年生から学科の枠を越えた総合選択制を取り入れている。これは全国的にも大変珍しい教育システムだと思う……

続きは令和5年1月28日号の伊和新聞に掲載しています。
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