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いが再発見 No217 名張市郷土資料館「いにしえの名張」展

古くから東西の交通の要衝に位置付けられ、重要視されてきた名張の歴史を発掘品からたどる企画展「いにしえの名張」が、名張市安部田の名張市郷土資料館で開かれている。8月31日まで。三重県埋蔵文化財センターと名張市教育委員会が主催するもので、縄文から戦国まで時代を6つに区切り、遺物300点を展示。そのほとんどが名張に関わるものだ。また、昨年、市内薦生地区で同センターが発掘した古代の建物群の写真なども掲示。奈良時代の天皇の伊勢行幸の跡ではないかとの説が浮上、話題を呼んでいる。同館では「県の発掘品は今回しか見られない。夏休み中でもあり、ぜひみなさんに見てほしい」といっている。
展示会場に入ってまず目を引くのが昨年春から発掘が始まった薦生遺跡の写真。空から撮られたものだが、立っている人間の横に大きな掘立柱の穴がよく見える。解説によると、東西30㍍、南北約6㍍の大型建物跡で、少なくとも5棟が確認できるという。この遺跡は県道の改良工事で見つかった。
同センターによると、発掘当初は平安時代の「牧」と呼ばれる牧場跡か、鎌倉時代の荘園跡と考えられたが、調査の結果、予想もしなかった奈良時代の大型建物群であることが分かった。しかも規模から国郡クラスの役所と推定。ところが当時の伊賀国庁、名張郡家は別の場所にあった。ではこの大型建物群は何だろうという疑問がわいてくる。
郷土史家で考古学にも詳しい門田了三さん(68)に解説をお願いする。「いちばん考えられるのは聖武天皇の伊勢行幸に関係する施設ではないかということ。六国史(りっこくし)の1つ、日本書紀の後に作られた『続日本紀』に、740年(天平12)聖武天皇は伊勢神宮に行く途中、名張に1泊したという記述が見えます。そのとき泊まった行宮(あんぐう=天皇の仮宿所)がこの場所ではないかということ。もちろん証拠はないのですが」
その横に奈良・山添村にあった大寺院・毛原廃寺(けはらはいじ)の写真もある。さらに解説は続く。「このお寺は聖武天皇の勅願寺。つまり天皇自身が作ったお寺なのです。立派な礎石が残っており、唐招提寺に匹敵するほど大きな寺でした。しかも、奈良・平城京から薦生を通るルートは伊勢神宮への最短距離。毛原廃寺もその途中にあります。ですから、聖武天皇はこの道を通った可能性は十分あると思いますよ」
今年3月、名張金石文研究会の調査に同行。会員のみなさんと薦生に行ったことを思い出す。NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した源義経の家来、源有綱のゆかりを訪ねたのだが、そのとき歩いた畑の周辺に奈良時代の遺跡が埋まっていたのだ……

続きは令和4年8月20日号の伊和新聞に掲載しています。
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