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いが再発見 No221 芭蕉翁記念館「芭蕉を慕う人びと」

俳聖芭蕉の命日である10月12日が間もなくやってくる。それを記念した第76回「芭蕉祭」の行事が今年も伊賀市・上野公園での式典をはじめ市内各地で行われる。その一環として芭蕉翁記念館では現在、特別展「芭蕉を慕う人びと」が開催中だ。12月25日まで。(期間中休館日なし)。芭蕉は、旅を通して多くの人々と出会い、その交流の中で自らの作品を高め続けた。今回は身の回りの世話をしてくれた門人でもある女性への感謝の手紙、芭蕉自らの推敲の跡が残る「更級紀行」の草稿(重要文化財)、芭蕉生前の俳論を伝える書簡として有名な弟子向井去来の6㍍に及ぶ長大な手紙などが展示されるのも話題だ。
芭蕉翁記念館の展示室をのぞいてまず目を引くのはやはり芭蕉の真筆である。私が訪れたときに目にしたのは昨年3月、新たに収蔵された「元禄3年(1690年)芭蕉筆智月宛書簡」だ。智月は大津の商人の妻で近江滞在中の芭蕉に家族ぐるみで何かと世話を焼いた女性。手紙は新たに発見されたもので、智月宛の書簡はこれまで6通知られていたが、今回の発見で7通目になるという。ひらがなが多く、ところどころに漢字が点在する。読もうとするが流麗すぎてまったく読めない。同館の学芸員高井悠子さんに解説をお願いする。「この手紙は芭蕉が大津にあった幻住庵に滞在したときに書いたもの。智月が酒やゆかたを届けてくれたことに対するお礼がその内容です」
当時は女性に宛てて手紙を書く場合、とくべつの書体があったという。「女房様式といいますが、筆跡を変えることで相手に優美で柔らかい印象を与えるのが目的でしょうか。江戸時代の女性向けの書体がよく分かる貴重な資料でもあります」
その隣に「元禄7年(1694年)8月14日付芭蕉筆智月宛書簡」と「月見の献立」が並んでいる。筆者が見たときはレプリカだったが、この原稿が掲載されるときは真筆が掛かっているはずだ。前者は「月見の献立」に使ってもらおうと智月から送られた舶来のブドウ酒や煮物用の麩(ふ)などに対するお礼の内容、後者はその材料などで作った献立が芭蕉自筆の絵入りで書かれている。近づいて眺めると献立の2行目に「酒」、その後に「ふ」の字が見える。ちゃんとあった。芭蕉は実際にそれを使っていたのである……

続きは令和4年10月1日号の伊和新聞に掲載しています。
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