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いが再発見 No180 名張金石文研究会が史跡調査

観光名所、赤目四十八滝の入口にある延寿院は樹齢300年の枝垂れ桜や国の需要文化財の石灯篭のある寺として知られているが、実はここには藤堂家の始祖・高虎とその妻、6代までの藩主の供養塔や位牌(いはい)があるのはあまり知られていない。二十数年ぶりに活動を再開した「名張金石文研究会」の会員は、このほど同寺を訪れ、コケむした供養塔をブラシで払い、墓碑銘を確認した。しかし、調査の結果、長年風雨にさらされ、刻まれた文字は判読がむずかしくなっているところも多く、会員からは「彫りが浅いのが残念。もっと深ければよく読めるのに」という声が聞かれ、早急に再調査の必要を感じたようだ。
土曜日の午後、会員10人が目的地、赤目の延寿院に向かう。同会が、金文と石文、つまり鐘、石碑、仏像など金石に刻された文字、銘などを調べる活動をすることは同行する私でも知っている。しかし、実際の作業に立ち合うのは初めて。どんなことをするのだろうか。赤目自然歴史博物館の前を左に上がったところが延寿院。その周辺を忍者装束の親子連れが何組か歩いている。コロナ禍でお客はいないかもと思っていたが、けっこう観光客もいる。誰かがいう。「いや、人のいない静かなところに今は人が集まるのですよ」
さっそく会長の松鹿昭二さん(79)たちは本堂裏の一段高いところにある墓所に上っていく。そこには高い十三重の石塔がある。その横に細長い卵型の供養塔。同会事務局長の谷戸実さん(65)がコケの生えた表面をブラシでかき落とし始める。少しずつ表れてきた墓碑銘を手で触りながら松鹿さんが判読。それによると「松寿院殿清華妙尼大姉」と読めるという。松鹿さんが解説してくれる。「松寿院は高虎の側室。正室との間に子供ができなかったので側室を迎えたところ2人の男子を授かった。その長子が藤堂家2代藩主高次です」
そうか、もし松寿院が高次さんを産まなかったら藤堂本家は高吉公が2代目藩主になっていたのだ。それを聞いて何となく高吉の悲運を感じる。「だから松寿院は藤堂本家にとって大恩人なのですよ」と松鹿さん。「伊賀市の常住寺にも供養塔があります。3代目が自分の今あるのは松寿院様のおかげと作ったもので、今は同市の文化財に指定されています」 裏に年号がないかと探し始める。「確か松寿院の没年は慶安元年(1648)のはず」と松鹿さんは手で触るがなかなか見つからない。ようやく没年は探し当てたが、それにしても分かりづらかったようだ。古くからの会員で金石文を専門にする今西正己(まさみ)さん(67)が供養塔を解説してくれる。「荒石と呼ばれるこの石は摩滅しやすいうえ、文字の彫りが浅かった。400年も経つと欠けてくるのでしょう。もっと深く彫ってくれていたら判読しやすいのですが」 仕上げに今西さんは松寿院の供養塔にメジャーを当ててはかり始める。「高さ78㌢、卵塔の上の方39㌢、下28㌢です」 そうか、こうしていちいち細かく測っていくのだ。その数字をメモする人もいる。動作がみなテキパキしている。調査はこんな手順でするのか。見ていて気持ちがいい。
元の供養塔はどこにあったのだろうか。住職の松本篤明(あつみょう)さん(64)によると、明治初年の廃仏毀釈(きしゃく)と呼ばれる仏教排撃運動の影響で、延寿院の旧境内の一角からこの地に移されたものだという……

続きは9月18日号の伊和新聞に掲載しています。
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