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平和の祈り・平和の集い

「小さな田舎の村から敵も味方もない世界平和を祈る」
77回目の終戦記念日となった8月15日、終戦間際の6月5日に名張市青蓮寺の山中に米軍の爆撃機B29が墜落した現場で、搭乗員や地元戦没者を追悼する「平和の祈り」が開かれ、場所を青蓮寺の地蔵院(耕野一仁住職)に移して「平和の集い」が、名古屋米国領事館のマシュー・センザ―首席領事ら約80人が出席して行われた。折しもロシアによるウクライナ侵攻など、理不尽な戦争に犠牲者の絶えない中で、全員で世界の恒久平和を祈った。
「平和の祈り」は墜落現場近くの追悼碑前で行われ、地蔵院の耕野一仁住職は、1945年6月5日からの生存米兵9名全員が処刑された経緯を述べ、また地元の戦争被害について語ったのち「この青蓮寺の一ノ谷に墜落したB29の搭乗員やその家族、戦争で犠牲となった多くの日本の若者とその家族の心中を察する時、戦争を憎み、平和の大切さを後世に伝えることをお約束します。安らかにお眠りください」と追悼のことばを述べた。その後センザ―首席領事を筆頭に、参列者が次々と祭壇に献花し、米兵と戦没者に追悼の祈りを捧げた。
「平和の集い」は地蔵院で開かれ、センザ―首席領事は「日米両国は対立して悲惨な戦争を経験したが、今では欠かせない重要なパートナー関係を構築している。かつての敵が友人になるお手本だ。今でも世界各地で戦争や衝突が起きている。ウクライナ始め戦争に巻き込まれて犠牲になった人々に追悼の意を表したい。戦争で犠牲になった尊い命を犠牲にしないためにも、過去を共有し、顧みることで、世界の平和と安定を実現できると信じている」と日本語で挨拶した。続いて地元のバンド「シリウス」のミニコンサートに移り、地元小中学生や首席領事により、平和の象徴の鳩が10羽放された。上空を旋回する鳩に平和の願いをこめた後、全員で黙祷を捧げた。終わりに、世界の平和を願って、参加者により境内の梵鐘が77度打ち鳴らされた。
「平和の祈り」に参加した下村真咲喜(三重大2回生)さんは「四日市出身で、知人に誘われて始めて参加したけれど、名張でこのようなことが起こったことを知って驚いた。改めて平和について考えていきたい。ウクライナの戦争や平和については、自分一人では何もできないかも知れないが、考え行動していかなければと、強く思った」と。「平和の集い」に初めて参加し、放鳩した岡田理沙(14・赤目中2年)さんは、「B29が墜落したことは知っていたが、乗っていた人がどうなったかは知らなかった。搭乗していた人も攻撃していたから仕方ないかもしれないが、やはり残念。これからも戦争や平和について勉強していきたい。地域の人が沢山参加していて、悲しみを共有していたことに感動した」と若者ならではの感想を述べた。
会場に殆ど人がいなくなった頃、一人の老婦人に会った。箕曲中村在住の辻本政子さん(88)。「当時小学校6年生だった。非常時で授業は無く、開墾地へ行っているところ空襲警報が鳴ったので急いで家へ帰ろうとしていた。すると黒田の辺りで攻撃を受けて火を吹きかけているB29から一つ、二つと落下傘が下りていくのが見えた。怖くて怖くて、その時の気持ちを思い出すと今でもぞっとする。旋回しながら次々と落下傘が下りていく。B29はどんどん近づいてくる。火を噴いて、屋根すれすれに飛んできた。恐ろしくなって学校(現箕曲小学校)に飛び込んだ。しばらくするとドーンと大きな音が聞こえた。燃えているのは見えなかったが、大きな音だった。それから家へ走って帰った。すると田植えの準備の済んだ自分の家の段々畑の3段目に、大きな(両手を広げたジェスチャーで)焦げてはいなかったが水膨れで焼け死んだ、素っ裸のアメリカ兵が落ちていた。とにかく大きな人に見えた。燃えている飛行機から、落下傘での脱出が間に合わずに振り落とされたと思った。私はアメリカ兵とか知らないし、本当に怖かった。米兵の死体は、田んぼの近くの古い墓に父親らが埋葬した。今日のように、敵も味方も無く供養するのは、本当に良いことだし、地蔵院の今の住職のお父さんが凄く偉かったと思う」と当時を振り返って話した。
地蔵院先代住職の耕野一弘さん(当時33)は、境内に落下したB29の破片を拾い上げ、本堂内に安置して、遠い異国の地で亡くなった若者を思い「戦争の犠牲者は敵も味方も同じ」と供養を続けていたという。現在の一仁住職は「この小さな村から敵も味方もない世界平和を祈る」と、会場の中で幾度も語り掛けていた。