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俳聖芭蕉翁を偲ぶ 柘植町で「しぐれ忌」
伊賀で生まれた松尾芭蕉(1644~94)を偲ぶ「しぐれ忌」が11月12日、松尾家の菩提寺である萬壽寺(伊賀市柘植町)で営まれた。市と芭蕉翁顕彰会の主催であるが、地元山出区の「柘植の里芭蕉翁を顕彰する会」を中心とした「しぐれ忌協賛事業実行委員会」の全面的協力のもと毎年開催されている。芭蕉は元禄7年10月12日に大阪で没しており「しぐれ忌」は、その命日をほぼ新暦に当てはめた11月12日に行われている。一方、上野公園俳聖殿で行われている芭蕉祭は、旧暦の10月12日の日付のまま新暦で行われている。
芭蕉の生誕地は、現在の柘植町山出区の説があり「しぐれ忌」は1893(明治26)年に、芭蕉翁200回忌を当時の東柘植村が主催して始まった。戦時中を除いて毎年開催されており、時雨やすい天候の故「しぐれ忌」と称されるようになったという。
小ぶりな芭蕉の木像が安置された本堂には、約100人が参列。式は女声コーラスによる「芭蕉賛歌」から始まった。芭蕉翁顕彰会の野口俊史会長が「芭蕉翁は研鑽の場として生涯漂白の旅を続け、不易流行の俳諧精神を確立。その俳諧は今日も人々を引きつけてやまない」と開式の辞を述べた。落合泰寛住職の読経が本堂と、境内の松尾家の墓碑の前で行われ、岡本栄伊賀市長始め参列者は次々に焼香と献花をした。
3期12年の任期を終え、20日に退任する岡本市長は「俳句の自然観による世界は、平和や環境問題に通じる。『草いろいろおのおの花の手柄かな』の句は、個性をしっかり育てる教育者の面もある。12年の間色々と携ってきた、益々花を咲かせて頂きたい」と話し「しぐれ忌やここに思いの十二年」と詠んで結んだ。
芭蕉と源氏物語
続いて芭蕉翁記念館学芸員の服部温子さんが「芭蕉と源氏物語」の演題で講演をした。「芭蕉の時代の俳諧と今の俳諧は大分違う」と話し始め、滑稽文学として、新古今和歌集や千載和歌集の和歌を茶化したり、滑稽のネタとして古典を使う例を挙げた。次に連句の言葉遊びのうえで、知識としての源氏物語の末摘花の一部を取り上げた。共通知識として古典が必要となり、古典応用の手引き書として「俳諧作法書」ができ、その中で取り上げられている源氏物語や、五十四帖をダイジェストにした「十帖源氏」を紹介。源氏に使われている言葉で、江戸時代には使われなくなった言葉を、あえて芭蕉が使っているものがあり、笑いに変える表面的な古典の使い方から、それを深めていく過程に芭蕉の凄さがあったという。芭蕉以前・以後では古典の扱いがまるで異なっている。聴衆の1人が、連句に絡めて正岡子規と芭蕉について質問したが、服部さんは「連句のような共同制作でテーマが無いのは、文学ではないと子規が否定したので、一気に連句は行われなくなったが、芭蕉は連句を重要と考えていた」と答え講演を終えた。