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名張秋祭り

名張市平尾の宇流冨志禰神社(中森孝栄宮司)の秋祭りが、10月26日宵宮、27日本宮を迎えた。宵宮では、裃(かみしも)姿の人々が松明行列を組んで、宇流冨志禰神社を目指して練り、本宮では名張市の旧市街(旧町)の夫々から出るダンジリや太鼓台、神輿、七福神、そして20日から南町の御旅所に安置されていた宇流冨志禰神社の神輿が、町内を練り歩いた。
祭りは「講」と呼ばれる名張市の旧町の人々を中心に進められる。朝日町の「北出講」、榊町・本町・松崎町などのいわゆる旧町と言われる「町講」、南町の「南出講」、宇流冨志禰神社周辺の「平尾講」。講では「年度子(ねんどこ)」と呼ばれる子どもが選ばれ、宵宮・本宮通して、象徴的な役割を演じる。
宵 宮
宵宮の26日、裃姿の人々による松明行列が、南町の御旅所を出発し「ねんどねんど、わーい!」(年度年度祝い)と、大きな掛け声をかけながら、同神社までの旧市街(約1・5㌔)を練り歩いた。この掛け声には、その年に生まれた子どもの無事な成長を祈る思いが込められているという。江戸時代の初め、名張を治めていた藤堂高吉(1579~1670)が、秋祭りの時だけ武士が装う裃の着用を許したのが始まりとされる。刀を1本だけ帯同するのを許された名残で、耳に箸を1本差している。
行列は4つの講に分かれていて、進む順番は毎年くじ引きで決める。今年は北出講からスタート、年度子は名張小4年の寺田純怜(すみれ)さん(10)、2番目は町講で、同校3年の鈴木悠月(ゆつき)さん(8)、3番目は南出講で、同校2年の徳地功有(こうゆう)君(7)、最後は平尾講で、同校2年の生杉佳音(いけすぎかのん)さん(7)と続いた。鈴木悠月さんのお母さんの真由さんは「永く続いている歴史の中で、大事な伝統を繋ぐ役目を頂いて、誇らしくて嬉しい。しっかり役目を果たして欲しい」と話した。行列の先頭を松明が歩き、その後ろを年度子と裃の人々が続いた。本町では裃姿の子供たち13人が乗ったダンジリが、鉦、太鼓、笛のお囃子で、行列を迎えていた。
大きな4つの松明が燃え盛る神社の境内に到着し、年度子と人々は宮司から祝詞を受けた。それに合わせ南町神事講保存会獅子神楽保存会の人々が「獅子神楽」「荒獅子」の舞等で、五穀豊穣や天下泰平の祈りを込めた獅子舞を奉納した。獅子に天狗が絡む他、おかめやひょっとこも登場し、取り囲む300人ほどの人々を楽しませた。
本 宮
27日の本宮は、朝から市内10地区の約700人が神輿や太鼓台を担ぎ、ダンジリを曳いて街中を巡行し、昼過ぎには、元町のイオン名張店駐車場に続々と集まった。最後に藤ノ木会が担ぐ宇流冨志禰神社の神輿が登場し、名張の“祭り”が勢ぞろいした。神輿や太鼓台の担ぎ手の公募に応じた人は約70人、大阪からの人もいるという。また、今年は初めての女神輿が登場。商工会議所青年部が中心となり、本町の子ども神輿を修復し、女性たちが担いだ。色鮮やかな刺繍の法被姿の人もいて祭りに華を添えていた。
名張秋祭り実行委員長の菊山賢二さん(59)が「祭りを盛り上げよう!町を盛り上げよう!祭りと町がいつまでも続くように」と挨拶。続いて鍛冶町の七福神が舞を披露し、全員が低頭し中森宮司による安全祈願の後、同神社の神輿が町中を元気にするような「チョーサ、チョーサ」の掛け声とともに出発した。続いて集まっていた神輿、ダンジリ、太鼓台は一の鳥居まで巡行し、それぞれの地区に帰っていった。
神社の神輿は旧町を過ぎ、平尾の町をあちらこちら練り歩きながら午後3時30分頃神社に到着した。最後の力を振り絞り「チョーサ、チョーサ!」の掛け声とともに、幾度もぐるぐる舞った。その後、宮司による神移しの儀式の後、専用収納庫に収められた。4人の年度子たちも立ち会った。祭りの最後は七福神の舞で、秋祭りは終了。中森宮司は「お天気に恵まれ、新しい地区の人が参加された。青年会議所の新しい神輿もあった。この盛況が来年も続きますように」と安堵の表情で話した。
本町の子ども神輿は女神輿として参加したが、中町や上本町の集議所では、子ども神輿が飾られて丁寧に祀られていた。町から子どもがいなくなって、このような参加の形となったという。中森宮司は「このように祀っていただく参加の仕方もありがたい」と話していた。