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後世に伝える約束 平和の祈り「平和の集い」
79回目の終戦記念日の8月15日、名張市青蓮寺の山中に米軍爆撃機B29が墜落した現場近くの追悼碑の前で、搭乗員や、地元戦没者、多くの戦争犠牲者の鎮魂を祈り永遠の平和を祈る「平和の集い」が開かれ、その後場所を青蓮寺の地蔵院(耕野一仁住職)に移し、第2部が行われた。主催は多宝山地蔵院(実施主体)、名張市宗教者連帯会、名張ユネスコ協会(協賛)。
昭和20年6月5日、神戸市街地を大空襲した米軍爆撃機B29の9機編隊の1機が、その帰路で日本の戦闘機の攻撃を受け、青蓮寺(一の谷)の山中に墜落。搭乗員11人のうち1人は機体と共に墜落し、1人は田んぼに落下して死亡した。パラシュートで降下した9人の内6人は名張側、3人は奈良県側の住民に捕らえられ、6人は東海軍管区(名古屋)、3人は中部軍管区(大阪)に送られたが、終戦間際の8月10日前後、全員処刑された。一方、名張の若者は1190人が戦死し、中でも箕曲地区で108人、青蓮寺地区では約100戸の民家で36人が戦死している。また6月5日以降、艦載機(グラマン)が再三飛来し赤目駅、美旗駅を機銃掃射し、約50人が死傷した。比奈知、美旗、蔵持に焼夷弾が投下され多くの民家が火災となった。
「平和の集い」第1部は、日米両国旗が掲げられた追悼碑の前で、参加者約50人が黙祷した。日米両国歌がヴァイオリンとリコーダーで演奏された。耕野住職が、墜落後の搭乗員のその後と名張の戦死者について話し、更にロシアによるウクライナへの侵攻や、イスラエルとパレスチナの紛争に言及し、「戦争で犠牲となった多くの若者とその家族の心中を察する時、戦争を憎み、平和の大切さを後世に伝えることを約束する」と追悼のことばを述べた。続いて、在名古屋米国領事館アンナ・ワン首席領事から寄せられた「平和の集い」への感謝と敬意の言葉が代読され、ヴァイオリンとリコーダーによる「故郷」と「アメイジンググレイス」の演奏が森に響く中、参加者による献花が続いた。
献花の後は、同市青蓮寺の山口繁一さん(94)が「あの頃の思い出」と題して、平和について語った。「83年前、昭和16年12月8日、日本がアメリカと戦争を始め、負けました。日本の殆どの都市は空襲で焼かれ、戦死も含め300万人の市民が死に、名張でも1200人が戦死しました。何のための戦争だったのか。6月5日終戦2か月前、B29 が墜落し9人が落下傘で命を救われました。しかし9人の生存者は悲しい運命をたどりました。何のための戦争だったのか。昭和22年5月3日、平和憲法によって、戦争放棄、軍隊を持たない、民主主義という言葉が生まれ、それ以来日本の平和が続いています。私は94年間幸せに生きてきました。平和憲法を知らずに死んだ300万人の若い戦死者たち、市民たちを思うと言い尽くせない悲しみを覚えます。平和憲法のもと、何時までも平和な毎日を暮らしたい。平和憲法を永久に守って生きていきたいと思う」と、年齢を少しも感じさせない、しっかりした大きな声で語った。どの政治家より、社会活動家より説得力があった。
「平和の集い」第2部は地蔵院に場所を移し、約70人の参加者が集まった。北川裕之名張市長始め10人が、平和への願いを込め白い鳩10羽を一斉に放した。鳩は空中高く旋回した。続いて参加者は順番に「平和の鐘」に祈りを込めて、梵鐘を79回鳴らした。併せて名張市内の寺社・教会など約30か所でも平和の鐘が鳴らされた。
初めて平和の集いに参加した赤目中1年の田中康介さん(12)は今年、平和教育で沖縄戦のシミュレーションを行った。その時のことを思い出し「戦場では、1つの選択が命を決定することを学んだ。ガザのようなところで、恐怖と飢えにいる人の気持ちが分かるような気がする。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争が早く終わって世界が平和になれば良いのにと思う」と話した。名張市宗教者連帯会・金光教名張教会長で、中学校教諭の近藤正明さん(57)は「父親が学徒出陣で、人間魚雷『回天』の乗組員だった。特攻出陣には至らなかったが、海軍での話は色々と聞いていた。語りつがなければという強い思いで、平和学習のため生徒たちに話している」と思いを込めて語った。