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戦争はいや!平和の集い

平和を考え語りつぐ・継承に希望
2024平和のつどい実行委員会主催、名張市、同教育委員会後援の「戦争はいや!平和のつどい」が8月18日、名張市産業振興センターアスピア(南町)で開催された。テーマは「語りつごう平和を・くりかえしてはいけない悲惨な戦争!」。2013年から続けて今年で12回目となる集いは、戦争体験を若い人に継承し、平和につなげることに主眼を置いてきた。今年は、その点で大きなステップアップがあった。
体験者が8月6日を語った。中谷絹子さん(95)は島根県出身。昭和19(1944)年10月、呉の軍需工場に学徒動員され、昭和20(1945)年2月から広島市の工場に出張勤務となった。8月6日は、工場で行員の出勤簿の整理をしていたところ、突然ピカッと光って目がくらみ、次の瞬間爆風で足をすくわれ倒れた。気が付いて立ち上がると顔から血がぽたぽたと流れ落ち、胸まで真っ赤に。顔にガラスが数か所刺さり、片方の目が切れてみえにくくなっていたという。
中谷さんが居たのは爆心地から4㌔ほど離れた工場で、外に出て爆心地寄りの宿舎に向けて歩いた。全身真っ赤に焼けただれ、皮がむけて手の先から垂れ下がり、幽霊のような姿の人が「お母さ~ん、苦しい、水を」と言って息絶えた。それに続く凄惨な被災の情景に、満場の人々は息をのんで聞き入った。
「これが生き地獄だ。自分が息をしているのが不思議でならない」。たどり着いた宿舎は倒壊しており、亡くなった24歳の女性教師の遺体を焼いたが「あの悲しみは今でも忘れられない」。15日に終戦となり18日に島根に帰ったが、どこで寝て、何を食べていたのか、全然記憶がない事や、「その年は夏なのに寒くて寒くて」、「洗面器に2杯ほど吐血した」と想像を絶する体験談を次々と。「戦争ほど悲惨で残酷なことはない。どうか平和な時代が続くよう心から祈っています」と話を閉じた。
その後中谷さんは、豊中から名張市さつき台の神前ひろ子さん(75・娘さん)のところに移り住んだ。この日サポート役を務めた神前さんは、語り部として受け継ぎ、中学校で平和コンサートなどの活動をしているという。  中谷さんの話の後、名張市の各中学の代表生徒各2名からなる10人の「ピースメッセンジャー」が日頃の活動の中で学び、議論してきた平和や戦争について、一人一人が思いを述べた。この日はピースメッセンジャーの第3回学習会にもあたっていた。
南中2年の佐野詩夢さん(14)は「ウクライナでは25万人が、ガザでは34650人が戦争で亡くなっている。戦争以外にも貧困と教育問題がある。貧困問題は日本でも他人事ではない」と警鐘を鳴らし「戦争、貧困、様々な問題について自分で勉強し、周りの人々と話して、伝え続けていきたい」と語った。発表後、中谷さんの話について「実際に聞くと、インパクトがすごく、生々しくて悲しくなった。まず平和について、自分から周りに伝えようと言う気持ちが更に強くなってきた」と話した。
中学生たちは「自分にできることは、戦争の悲惨さを周りに伝えること。ピースメッセンジャーになって、戦争や平和や地球温暖化、貧困等について話し合い、考えられるようになって良かった」と異口同音に語った。
会場には、原爆写真のパネルや日本の戦争の歴史、日本と世界の現在の戦争と平和、戦時中の備品、遺品、写真、ノート等々。また、今年新たにシベリア抑留された小松勝喜さんによる「平和のために、ある一等兵の戦場体験記」70枚、そして、広島市立基町高校の生徒が被爆者から直接聞きとり描いた原爆の絵30枚などが、壁面やステージに展示され来場者の目を引いていた。
それらの展示を前にして、ピースメッセンジャー10人と実行委員会のメンバーが輪になって並び、意見交換会を開いたのも画期的な出来事であった。
実行委員会の羽口和彦(70)さんは「次の世代への伝承に希望が見えた。明らかにステップアップできた。若者への伝承機会が増えることが、積年の願いであった。ピースメッセンジャーの子供たちの活動を、教育の場が積極的に取り組んでくれている。今後、この平和の集いが、共にテーマを決め一緒に学び、発表できるようになればもっと良い」と喜びと安堵と希望の表情で語っていた。