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4年振り 名張秋の例大祭
名張市平尾の宇流冨志禰神社の秋祭りが、10月28日宵宮、29日が本祭りを迎えた。コロナ禍で2020年から中止していた「松明行列」も復活し、旧町のそれぞれから出るだんじりや太鼓台、神輿、七福神の町内練り歩きも復活した。神輿を担ぎ、だんじり、太鼓台を引っ張る人の数は600人以上となった。22日から南町の御旅所に安置されていた宇流冨志禰神社の神輿も、トラックでなく、担がれての練り歩きとなった。
祭りは「講」と呼ばれる名張市の旧町を中心とした人々によって進められる。南町の「南出講」、榊町や本町、松崎町など、いわゆる旧町の「町講」、朝日町の「北出講」、宇流冨志禰神社周辺の「平尾講」の4つの講がある。「町講」では27日、講の人々が集まり4年振りに餅つきをし、宵宮に使う松明づくりをした。松明行列で、今年の年度子(ねんどご)をつとめる岩見縁(えにし)君(4)も参加し、餅づくりを手伝っていた。講の世話人の1人、本町の大西武夫さんは「コロナで本当に参っていたし、人間関係が言葉にならないくらい澱んでしまった。祭りを機に、色々な事を取り戻していきたい」と話していた。
宵宮
宵宮祭りの28日、裃(かみしも)姿の人々による4年振りの松明行列が、南町の御旅所を出発し、「ねんどねんどわーい!」(年度年度祝い)と威勢の良い掛け声をかけながら、同神社迄の旧市街地を練り歩いた。江戸時代初期、名張を治めていた藤堂高吉が、秋まつりの時だけ、町民に裃の着用を許したのが始まりとされる。
行列は4つの講に分かれていて、初めに南出講が進み、年度子は谷口仁心(にこ)さん(12)、次に町講(前出)、その次を北出講の宮崎綾乃さん(6)、4番目を平尾講の平岡大和君(9)と続いた。平岡大和君のお母さんの奈穂さん(36)は、「選んでいただいて誇らしいし有難いと思う。無事役目を果たしてほしい」と緊張の面持ちで話していた。行列の先頭を松明が歩き、その後ろに年度子と裃姿の人々が続いた。途中で、裃姿の子供たち11人が乗った本町のだんじりが、鐘を鳴らしながら行列を迎えていた。この裃は今年新調したという。
大きな4つの松明が燃え盛る境内に、年度子たちは到着し、宮司から祝詞を受けた。それに合わせて南町神事講獅子神楽保存会の人々が「獅子神楽」と「荒獅子」で、五穀豊穣や天下泰平の祈りのこもった見事な獅子舞を奉納した。獅子舞を眺める子どもたちの、憧れる眼差しが印象的だった。
本宮
29日の本宮は、朝から市内10地区の約620人のだんじりや太鼓台、神輿の行列が、街中を巡行し、午後1時に元町のイオン名張店駐車場に一堂に集まった。祭り実行委員長の菊山賢二さんが「神輿や太鼓台の担ぎ手に多くの人が参加して頂いた。遠くから来てくれた人も初めての人もいる。祭りが来年も再来年も、10年後も20年後も続くように願っている」と挨拶。
愛宕樽太鼓保存会の人々が、景気の良い演奏を披露して人々の拍手を受けた後、藤の木会の人々が担ぐ宇流冨志禰神社の神輿が「チョーサ、チョーサ」の掛け声とともに、町中を元気にするように幾度もグルグル回り、拍手喝さいを浴びていた。その後、集まっていただんじり、太鼓台、神輿は、一の鳥居まで巡行し、それぞれの地区に帰って行った。最後尾の鍛冶町の七福神が鳥居の手前で舞を披露した。
神社の神輿は、掛け声とともに旧町を練り歩きながら午後3時頃同神社に到着し、宮司による神移しの儀式の後、倉庫に納められた。4人の年度子も立ち会っていた。最後に七福神が舞って、秋祭りは無事終了。中森孝栄宮司は「もとに戻ったことが喜ばしい。大変嬉しいし、有難い。神輿も藤の木会の皆さんに担がれて走り回っていた」と安堵の表情で話していた。