「令和の学校」ってどんな学校 No17『名張市立百合が丘小学校』
1学期末、成績表を始めいろんな書類を校長が点検する時期。忙しいのを承知で、無理をお願いし、インタビューの時間を作っていただいた百合が丘小学校の松田和隆校長。しかし嫌な顔一つせず、ニコニコとしながら応えていただいたことに、温かい人間性を見た感じがする。
―今までどんな学校で勤務されたか。
初任校は、蔵持小1年間。梅が丘小が分離開校したので、そちらに転勤。3年間勤務したが、児童が急激に増えた時期だった。その後、へき地教育に取り組みたかったので国津小に希望し異動した。5年間いたが、2年・3年の複式学級を担任した時は、「わたり」と言って45分の授業中、2年を指導している時は、3年の児童が先生役をし、3年の授業の時は、2年の児童が先生役をして、授業を行っていた。大変だったけど、楽しかった。
その後、中南米のコスタリカ(首都サンホセ)の日本人学校に3年間行った。現地にいる日本人は300人ぐらいで、小1から中3までで30人ぐらいの児童生徒の学校だった。現地の言葉はスペイン語で、少しは勉強していたが、現地でスペイン語の家庭教師について勉強するのが義務であり、下校後毎日勉強をした。もっと長くいたかったのだが、3年という約束の為、残念ながら帰国。次に1年間名張市適応指導教室(さくら教室)に配属になった。
百合が丘小にはその後異動になり、7年間在籍。4人の校長の下で勤務した。次に名張小5年、三重県立こども心身発達医療センターに1年間内地留学。実習生として病院での研修を受け、終了時に知事から「三重発達支援システムアドバイザー」という資格をいただき、名張市子ども発達支援センターの教育専門員として戻ってきた。ここは、名張市の特長でもある市内全5歳児の検診を行い、所属の教員や保育士が中心となって、発達障害の発見や支援等について、幼保と小の連携を図る支援システム機関。子どものことについて悩んでいる保護者の相談を受けた。5年間の勤務の後、百合が丘小に教頭として。1年で百合が丘にある市教育センター長に、そして今年、百合が丘小に校長として勤務させていただくことになった。
―今年はじめて百合が丘小の校長ではあるが。
いろんな経験をさせていただいたことは、勉強にもなったし、人とのつながりもできた。今考えるととてもありがたい。中でも発達支援についての勉強や実習などをとおして、保護者の子どもに対する期待や不安、また学校や教職員に対する思いや願いなどについて、本音で聞くことの大切さを学んだ。このことは教員として最も大切にしなければならないことだと思う。また、この百合が丘小では、教諭・教頭・校長で勤務させていただいたし、百合が丘にある教育センターでも勤務させていただいた。不思議な縁を感じる。
―この地域の人の協力は。
10年以上前から学習支援として、教室に入っていただいている学習支援「ほめほめ隊」は市内の学校に先駆けての学校と地域の連携の姿だと思う。他にも登下校の見守りや挨拶運動、読み聞かせなど、「地域ともにある学校」として文部科学大臣表彰を受けたのは納得できる。今は、コロナ禍のため、規模を縮小し、「ほめほめ隊」も一時休止をしているが、代わりに印刷作業の手伝いとか緊急時対応ができるように教室外での支援をしてもらっている……
続きは7月31日号の伊和新聞に掲載しています。
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