「令和の学校」ってどんな学校 No20 伊賀市立上野西小学校
歴史・伝統・人情に抱かれて 上野西小
教師の多忙が社会問題になって久しい。授業時間以外に、授業の準備、会議、研修、出張、児童の相談や指導、家庭訪問、さらにコロナ禍における緊急対応……。あげればきりがない。年間20日ある年次休暇や土日勤務の振り替え休暇など、校長は教職員の休暇の割り振りや休暇取得を進めたいが、子どもたちの授業があるので、苦慮する。せめて「子どもが登校していない時に休みを」と先生方に進め、自分は出勤。上野西小学校の森永宏校長もその一人かと思う。校長室に案内していただき、行事黒板を見ると、30日の始業式(伊賀市は30日から2学期がスタート)まで、会議と研修がびっしり。今回も一人勤務の校長先生にインタビューをする。
上野西小が最初の勤務校らしいが。
平成2年4月に教員になったが、初めて勤務したのが、この西小。旧校舎の時だった。当時の教え子が今、保護者になっている。教頭として戻ってきた時に「先生、お帰り」と言ってもらった時は、ホントに嬉しかった。
西小の他にはどんな学校に。
西小で10年勤務させていただき、その後府中小を経て、三重大附属小学校に行かせていただいた。伊賀市に戻ってきてからは、上野東小で8年。その後教頭として霊峰中1年で、そして久米小で校長を経て西小に戻ってきた。
教諭・教頭・校長と同じ学校で経験されている人は珍しいのでは。
確かに西小での教員生活では、思い出もたくさんあるが、同時にいろんなことを学んだ。教員としてスタートした時は、学習指導要領が改訂され、小学校では、1・2年生の授業に社会科と理科をなくし、生活科が新設されることになった。また、教科領域を横断的・総合的に課題学習をする時間として「総合的な学習の時間」が設けられた。私自身はこの学校で、1年から6年まで全ての学年を担任させてもらったが、1・2年を担任している時に「生活科」の授業に興味を持ち、いろんな授業実践をし、研究を行った。また、三重県で実践発表や全国組織の研究会で指導助言などもさせてもらった。
高学年を担任した時の思い出は。
20年ほど前、非常に大きな台風が来て伊賀上野城の樹木がたくさん倒れた時があった。その時は6年生を担任していた。子どもたちと一緒にお城に行くと、もの凄い景色になっていてショックを受けた。市の職員の方が倒れた木の処理をされていたのを見て、子どもたちは「この木を捨てるのはもったいない。何かできないか」と言って、その木をもらってきた。校舎が新しくなった時だったので、子どもたちはその木を使って自分たちの気に入っている場所に、ベンチを作って置こうと考えた。製材屋さんを探し、自分たちの思いを話して丸太にしてもらったり、また自分たち自身で、切ったり削ったりして、ベンチを作り上げた。まさに、総合的な学習である。自分たちが作ったベンチの裏に思いやメッセージを書き、校庭に据え付けた。子どもの力、発想、行動力は凄いと実感した。教頭で戻ってきた時、そのベンチがあったので裏を見ると、当時のまま、子どもたちの文字が残っていた。あの時は嬉しかった。子どもたちの顔が、その時の様子が鮮明に思い出された……
続きは8月28日号の伊和新聞に掲載しています。
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