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「令和の学校」ってどんな学校 No65 三重県立上野高等学校

上野城の天守閣に見守られて、燦然と輝く白亜の木造校舎。それを取り巻く何棟にも及ぶ校舎群。史跡・崇広堂や小学校、中学校、旧市役所などに囲まれた伊賀市の中心街に位置する三重県立上野高校は、今年創立123年。卒業生には小説家・横光利一、書家・榊莫山、歌手・平井堅などの著名人をはじめ、政財界や学術・文化芸術・スポーツ界など多くの人材を輩出し、現在も多方面にわたって活躍している。
1899(明治32)年、三重県立第三尋常中学校として開校。1919(大正8)年に、三重県立第三中学校と改称。1948(昭和23)年、学制改革により阿山高等女学校と統合、三重県上野北高校となる。翌年、学区制実施により三重県上野南高校(旧上野工業学校・旧上野農業学校・旧上野高等女学校)と統合され、三重上野高校となる。1951(昭和26)年、南校舎が三重県上野商工高校(後に上野工業高校と上野商業高校となる)として分離。1955(昭和30)年、三重県立上野高校となり今日に至っている。
厳寒の中白い息を吐きながら、校舎から上野城周辺を懸命に走る生徒の姿を横目に、校舎に入ると吉田淳校長(三重県立上野高校第24代)の笑顔が目に飛び込んできた。

初めて寄せていただいたが、素晴らしい校舎ですね。
本校の前身は旧制第三中学校。その校舎として1900(明治33)年、旧三重県庁舎や名張市の旧蔵持小学校校舎(現在、博物館明治村に移築)を手がけた、清水義八氏の設計によるもの。旧制中学3校の校舎は戦争等で焼失しており、現在残っているのは本校のみ。1989(平成元)年に県有形文化財の指定を受けた。和風入母屋屋根と洋風玄関や窓の木造平屋建て、現存する校舎としては大変珍しく、貴重なものであるため耐震工事を行い、後世に残しておきたいという事で、一昨年11月から1年余りの工事を終えて、1月20日「明治校舎耐震改修工事完成記念式典」を行った。

ところで貴校はSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)の指定を受けているが。
2019(令和元)年に、文部科学省からSSHの指定を受けた。この事業は、卓越した科学技術人材を育てることを目指しており、三重県では5校ほど指定を受けている。学校の数からすればかなり多い方である。普通科高校が圧倒的に多いが、広島県にある農業高校で指定を受けている高校もある。本校は2023(令和5)年まで第1期5年間の指定を受けている。探究的(データサイエンス)な研究で、これまでのような暗記中心ではなく、データを使って自分で研究課題を設定することが求められている。本校では、グループで研究テーマを設定しているが、単なる調べ学習ではだめで、データを蓄積して、課題解決にあたる、いわゆる探究的な学びが必要とされる。このことが先ほど言ったか科学技術人材の育成につながる。伊賀から国際的な場で活躍できる人材育成を目指している。普通科では総合的な探究の時間を「みらい探究F」として、理数科は総合的な探究の時間に加えて、課題研究の時間、教科情報も加えて、「みらい探究R」として、1・2年で研究し発表する。3年生では、研究してきたものを論文にまとめている。できれば、英語の論文にといった取り組みもしており、台湾の高校と交流し毎年台湾に行く予定であったが、コロナ禍のため、まだ実現できていない。その学校は本校以上に素晴らしい取り組みをされていると聞いている。こうした状況であるので、ICTを活用し英語での交流を他校の要望もあって、本校と津高校、桑名高校の3校で1~2回行った。来年度はぜひ現地に行きたいと思い、今担当教員が準備を進めているところである。

来年度以降の取り組みは。
現1年生が交流で台湾に行く予定をしているが、第2期SSHの申請が認められれば、今の中学生も本校入学後にその対象となる。また今年から3年間「新時代に対応した高等学校改革推進事業」という指定も受けている。この事業は国際交流を行っていて、テーマはSDGsの中から「貧困」について、外国の高校生とオンラインで意見交換している。最初は英語で話す外国の生徒についていけないが、一度経験すると何が足りなかったのかが分かり、2回目3回目になると、どんどん話ができるようになってくる。希望者を対象として行っているが、できることにより生徒の達成感は十分満たされていると感じる……

続きは令和5年2月4日号の伊和新聞に掲載しています。
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