「第3回なばり まちなか大学」開催 旧町のにぎわい彷彿

名張市と近畿大学工業高等専門学校が同市の旧町(旧市街地)を共同研究した成果を発表する「第3回なばり まちなか大学」が3月5~9日、旧細川邸やなせ宿(新町)で開催された。
都市環境コース5年生の3人は「学生寮+地域交流施設」を計画した。場所は新町橋近くの名張川右岸。西側は名張川に面し、東側は旧初瀬街道に面している。古川直さん(20)は、旧町は見通しが悪くカーブミラーが多い点に着目し、狭い道路の交差点や曲がり角の角度を整理し組み合わせ鋭角的平行四辺形の建物を考えた。人とぶつかりそうになるが、そこからコミュニケーションが生まれるので「縁(えにし)~新しい繋がり~」と名付けた。南泰誠さん(20)は全体を1つの芝生の丘の様な、なだらかな曲線で覆い初瀬街道沿いの古い町並み景観に会わせ、格子の建物のデザイン工房とし学生寮を川に面した。全てが正面なので「おもて」と名付けた。全体を覆う緑の丘は赤目渓谷の方角から引き込まれた景観としている。春木遼太さんは「Separation Island」と名付けて、小さな家をたくさん建て川を流し、風通しが良くて近いけれど適当な距離感を計画した。
旧喜多藤の復元
専攻科1年の小屋成輝さん(21)は、一部が現存し国登録有形文化財になっている、元料理旅館「旧喜多藤」の全体を模型で復元した。現存するのは別館、大広間棟、表門など7カ所。現存するところは測量し、PR用リーフレットの写真やスケッチし、当時の旅館の仕様などで類推した。また初代市長の北田藤太郎氏の回想録を読み込む等して図面を描き、模型による苦心の復元をした。
多くの旅館や料亭で賑わっていた
近大高専の田中和幸教授は、昭和7年頃の参宮急行電鉄(現近畿日本鉄道)が発行したPR誌の参旧沿線時報の広告欄に、約50件の料亭や旅館が存在していたことに着目。その電話番号と古い電話帳で所在地の調査を始めたが、結果的に調査は、明治23年~昭和30年までの81件に及んでいる。関連して観光地名張に関するカラーの鳥瞰図や、赤目や香落渓のスケッチが展示された。また、旧喜多藤に残る白黒写真をカラー化。浴衣姿でくつろぐ人々、キリンビールの看板のある「喜多藤旅館休憩所」、整えられた洋式庭園など、現代に蘇った感じがする。
名張旧町旅の宿
8日には「名張旧町旅の宿」と題して講演会が開かれた。郷土史家で名張図書館長の山口浩司さんと、田中教授が講師を務めた。初めに山口さんが、奈良と伊勢を結ぶ初瀬街道の歴史を語った。本居宣長の「菅笠日記」、江戸時代に全国を測量した伊能忠敬が桜井から松阪へ初瀬街道を測量したこと。イザベラ・バードが名張に来たときの話しなど、約40人の聴衆は、興味深く耳を傾けていた。山口さんは「色々な事が線となって名張のストーリーにつながっていく」と語った。田中教授は、展示のデータに基づく明治23年~昭和30年の間に存在した旅館料亭の写真を示し、現地の確認方法なども語った。田中教授が「どんなことでも、旧町のエピソードでも教えて頂ければ、ヒントになる」と語りかけると、話し始める人がでてきた。旧町を大切に思う人々で、いつまでも話が尽きない集まりになっていた。