いが再発見 No203 「唐招提寺と宝扇講」
西山明彦師 故郷で講演
奈良時代に中国の僧、鑑真が苦難の末、日本に渡来、開祖となった奈良・唐招提寺の第88世長老、西山明彦(みょうげん)師(70)が5年の任期を終えて昨年3月退任した。現在は、戦国武将、筒井順慶の菩提寺、伝香寺(でんこうじ)の住職の傍ら同寺が経営する幼稚園で園児と接する毎日を送っている。このほど故郷である名張市滝之原の公民館で開かれた歴史民俗講座に出席したのを機会に、引退した後の心境、12回目を迎えた名張市と唐招提寺との「うちわまき」の竹を寄進する活動の始まったいきさつ、また、現代の世相についても長年の幼児教育の経験を踏まえて語ってくれた。
この日、滝之原公民館で「ひなち歴史民俗講座」が開かれ、明彦師が「唐招提寺と宝扇講」と題して講演、地元の人たち60人ばかりが聞き入った。まず、うちわまきに使う女竹(めだけ)と名張との関わりについて話す。女竹の奉納が始まったのは2011年、明彦師が唐招提寺の執事長だったとき。「兄・西山法生の紹介であいさつのため、亀井利克市長にお会いしたのです。名張高校の同学年だったことは、あとで分かったのですが、当時は全く市長を知りませんでした」
執事長は現場監督みたいなものと例える明彦師は、毎年巡ってくる宝扇講に使う女竹の手配も行っていた。ところが業者に頼んでいた仕入れ先がだんだん先細り、困った末についには中国から輸入もという状況になっていた。2人の雑談の中でたまたま、その話になったところ、市長から名張には女竹はいっぱいあるではないですか、といわれたという。
明彦師も思い出す。「小さいころ女竹を切って釣竿にしてよく魚釣りをしました」
その話が地元の滝之原の人たちに伝わり協力体制が組まれる一方、市としても、もう1つの伝統行事、東大寺二月堂の松明調進講と同じように文化的事業として行うという方式に発展していく。「女竹奉納は今年で12回目。これは地元のみなさんのおかげ」と感謝しながら今後について明彦師の心配もある。「私は昨年3月、長老を引退したのですが、そのとき寺の関係者から、西山さんが辞めたら女竹はどうなるのですかといわれました。10年も続けば、みんな西山頼みになるのか、頼りにしてしまうのですかね」
そのことで明彦師は考えていることがある。「いまは地縁、血縁もあって名張の方々と唐招提寺はうまくいっていますが、やがて将来、知り合いもなくなって途切れる可能性もあることを頭に入れておく必要があります」
解決策として寺側も積極的に「ありがたさ」を演出しなければだめだ、というのだ……
続きは令和4年3月26日号の伊和新聞に掲載しています。
※ご購読は名張市上八町1482 伊和新聞社 電話63-2355まで。定価月760円(郵送地区別途)、一部200円。