いが再発見 No210 金石文研 下比奈知 永福寺を調査
名張金石文研究会はこのほど、市内下比奈知にある永福寺を訪ねた。同寺は伊賀忍者たちが深く帰依した薬師如来像があったことで知られる。境内には室町時代の石仏などが多く見られ、五輪塔は昨年、名張市の文化財に指定された。また、この地で育ち、近代日本の代表的詩人、北原白秋(1885~1942)の最初の妻となった旧姓・福島俊子(1888~1954)が白秋を思って詠んだ短歌5首を刻んだ歌碑もある。高台の墓地では下比奈知にあった医院を継ぎ、名張で没した俊子の父・陞(のぼる)の墓碑も見つけた。
名張市の中心から東へ2㌔ばかり、延喜式内社である名居神社近くの高台に永福寺がある。山門の前に同寺の歴史の解説がある。創建は8世紀に遡るが、信長に攻められた天正伊賀の乱で焼失。現在の寺が再建されたのは明治になってから。門の手前に無縁仏がところ狭しと並び、塔のように積み上がっている。ここを以前調査した今西正己さん(68)によれば、人間ではなく馬を悼んだ碑があるという。無数に並んだ無縁塔の一角にあるが、この日は見つけることはできなかった。「昭和15年(1940年)に戦死と彫ってありました。馬の墓碑は珍しいですね」
その無縁塔の前に船形に彫り込まれた石仏地蔵がある。「年号もないが推定では室町時代中期ごろの作。腰部がケサがけされたように割れていて保存状態はよくありません」と今西さん。
それに並ぶように、石仏や自然石に彫られた「庚申待(こうしんまち)」碑などが横一列に11体並んでいる。庚申待ちとは、ひと晩中寝ないで夜明かしする江戸時代に流行した信仰である。1か所になぜこんなに石像が多いのか。会員で民俗学にくわしい山口浩司さん(53)が、明治初年の廃仏棄釈によるものではないかと、教えてくれる。「昔、村には寺が3つくらいありました。それが神仏分離の影響で、寺もまとめて1つにされることもありました。その事例で、ここに集められたのかもしれません」……
続きは令和4年6月18日号の伊和新聞に掲載しています。
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