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いが再発見 No175 初の企画展「大山田のなりたち」

かつて大山田は海の底でイルカが泳いでいた。さらに時代は下って日本一の湖である琵琶湖の始まりは実は大山田湖にあったなど、大山田地区の太古のロマンをかき立てる初の企画展「大山田のなりたち―石と化石から見る自然の歴史」が伊賀市富永の大山田郷土資料館で開かれている。29日まで。月・火休館。地域の魅力を発信しようと昨年3月に設立されたボランティア団体「大山田郷土の広場」が企画したもので、50点余りが展示されている。代表の西嶋克司さん(69)は「地元にある史跡や産業遺跡、化石などを知ることで、もっと郷土に自信と愛着を持ってもらえれば」と話している。

夏休みに入っていたこの日、企画展を訪れたのは大阪・堺市の藤永清次(きよつぐ)さん(84)ら6人の家族連れ。西嶋さんによる展示物の説明にうなずきながら「やっぱり説明してもらうとありがたい。よく分かります」と興味深そうに見入っていた。近くに休暇を過ごす家がある藤永さんは、2人の孫を連れてきていた。「上の孫は小学5年生。実は昨年、夏休みの宿題で研究発表する予定でしたが、コロナ禍で中止。今年こそ発表すると孫は意気込んでいます」 横を見ると男の子が陳列ケースを熱心にのぞき込んでいる。その表情を見ながら、今年は無事に宿題発表ができればいいのにと他人事ながら願ってしまう。 西嶋さんによれば今回は「地元の人があまり知らないことをもっと良く知ってもらおうと企画した」という。そのため身近な大山田の自然の歴史を4つのテーマに絞った。 パネル①は日本列島がまだ大陸の一部であった時代。墓石などに使われる荒木石と呼ばれる花こう岩があると、西嶋さんはいう。伊賀上野城の石垣に使われている石で、それが大山田にあるのだ。「国道163号線を上野方面へ向かう旧伊賀街道の中ノ瀬古道に10~15体の摩崖仏が露出しています。服部川をはさんだ南側の山沿いにあります。それをパネルにしました」 パネル②は産業遺跡として紹介したいもの。真泥(みどろ)地区には戦後の1950年から70年ごろまで操業していたマンガン鉱山があった。これはあまり知られていない事実である。また、広瀬にはセメントやガラスの原料となる珪石(けいせき)を採掘、出荷した跡があるという。はっきりと証明はできないそうだが、その当時、現場で遊んでいた子どもたちは場所をよく知っていたらしい。「実は私もその水晶を拾ったことがある」と西嶋さん。①、②は日本列島の跡形もない1億年から7000万年前のことだが、陳列品を見れば現場はどんなところか、行ってみたくなるはずだ。 パネル③はクジラ類の化石が示す海の時代。ちょうど日本列島が誕生するころである。そのころ、この辺りの阿波盆地は内海だったと、西嶋さん。1998年(平成10)に、宮谷川の川底でイルカの祖先と見られるハクジラの化石が発見された。実際に発掘したのはそれから2年後だったが、伊賀盆地化石研究会会長の北田稔さん(74)によれば「いまは地元を尊重してそのハクジラの化石を別称、忍者イルカと呼んでいる」そうだ。北田さんにもう少し解説をお願いする。「ふつうイルカは海で生活しますが、例えばインドのガンジス川や中国・揚子江にはカワイルカがいます。阿波は1700万年前、古瀬戸内と呼ばれて内海化されていた。イルカはまだ海で生活してはいたものの、やがて淡水で暮らしカワイルカ化したので、ガンジスカワイルカの祖先と考えられます。レプリカで頭の部分を展示していますが、学術上の価値は高いと思います」 パネル④は古琵琶湖層の化石。この地層を分析することで琵琶湖の始まりが大山田にあることが学問的に証明された。その実物が淡水生物の化石である。展示されているのは二枚貝のじん帯、ナマズの胸びれ、ワニ(クロコダイル科)の歯。コイの咽頭歯(いんとうし)もある。ノドにある歯だが、これは貴重なもので、東京国立博物館から「標本に貸してほしい」と頼まれたこともあったという。目立つのはワニの足跡化石が4点も展示してあること。海だった大山田にはワニもいたのだ……

続きは8月7日号の伊和新聞に掲載しています。
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