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いが再発見 No177 芭蕉翁記念館「芭蕉たちの食卓」

俳聖芭蕉(1644~1694年)は草庵や旅先でどんなものを食べていたのだろうか。そんな疑問を芭蕉が詠んだ俳句など約40点から探ろうとするユニークな企画展「芭蕉たちの食卓」が伊賀市上野丸之内の芭蕉翁記念館で開かれている。9月12日まで。若き日に仕えた藤堂家では台所方の経験もあったという芭蕉は料理にうるさかったのではないか。そんなことを想像するのも楽しいひとときだ。また、館内をひとめぐりした後に、芭蕉に関するクイズ10問が設定され、8問正解すれば記念品がもらえる企画もあり、来館者を喜ばせている。
館内で展示品を見ていると、若い男女がやってきた。さっそく入口にある芭蕉のクイズに関心を持ったようだ。やおら設問を読み始める。例えば芭蕉が仕えたのは何藩か、東海道の宿でとろろ汁が有名なのはどこかなど。いずれも3つから正解1つを選択するのである。館内の展示説明を読めば分かる仕組みになっているので、2人は熱心に展示を見回りはじめる。今度は女の子を連れた母親。小学校高学年らしい子どもに展示ケースを指さしながら説明している。どうやら夏休みの宿題なのかも知れない。同館の学芸員、高井悠子さんは今回のねらいをこう説明する。「夏休みでもあるし、芭蕉と食べ物のテーマは子どもたちにも分かりやすいと思って。江戸時代と現代の料理を比べてもらうことで、時代によって食べ物がどう違うかを感じてもらえたらいいのですが」
話を聞いているうちに、芭蕉の好物が急に知りたくなってきて、高井さんに尋ねてしまう。「伊賀の人である芭蕉は、当時、伊賀でよく採れたマツタケなどのキノコ類、みそを付けて焼いた豆腐でんがくなど今でも残る伊賀の名物が好きだったようです」
そうか、芭蕉はマツタケが好物だったのか。これからはマツタケのシーズンとなるが、国産のマツタケは値段が高くて庶民には手が出せない値段となっている。当時はどうだったのだろうか。江戸後期、伊賀の地誌を百科事典的に記録した「伊賀考」のなかで、マツタケは伊賀・石川山で採れるのが一番だと書いてある。伊賀の石川がマツタケの一大産地であったのだ。地域誌「伊賀百筆」の編集長、北出楯夫さん(80)にも聞いたことがある。「少し前ですが、石川の料理屋でマツタケを食べましたが、庭でマツタケが採れるのです。ウソだと思ったのですが本当でした。石川は昔からマツタケの産地だったのでしょう」
少し前とは、もちろん戦後のこと。それでも1960年代ごろはまだ、マツタケが庶民の口にも入ったということ。さかのぼって芭蕉の時代でも、今ほどは高くはなかったのに違いない。そこがうらやましい……

続きは8月28日号の伊和新聞に掲載しています。
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