ミュージックサイレンを市指定有形文化財に
伊賀市教育委員会は、伊賀市文化財保護委員会から答申のあった「ミュージックサイレン」を有形文化財(歴史資料)に決定した。ミュージックサイレンはYAMAHA(日本楽器製造株式会社)が、通常のサイレンは戦争中の空襲の記憶を呼び起こすことから、メロディの演奏ができるように改良した自動演奏装置で1950(昭和25)年に完成。その後、全国の官公庁、デパート、銀行などに設置された。
旧上野市では、戦後の平和な暮らしを象徴するような明るく楽しいものとするため、当時「音楽サイレン」と呼ばれていたミュージックサイレンの設置気運が高まり、1959(昭和34)年3月、旧上野市産業会館屋上に第1世代機(型式4音階φ350)が設置され、午前7時、正午、午後6時、午後10時の4回演奏されていた。ところが1982(昭和57)年頃から音程が維持できなくなったため、演奏を一時中止。同年10月、旧上野市庁舎屋上で工事を行い、アルミ製保護建物内に第1世代機(型式8音階φ350)のミュージックサイレンを新たに設置。1983(昭和58)年1月から演奏を再開し現在に至っている。
演奏曲目は、民間団体・行政の13人からなる曲目選考会議で「ペールギュント組曲より『朝』グリーク作曲(午前7時)」「芭蕉より『さまざまなことを思いだす桜かな』栗田三郎作曲・沢しげき作詞(正午)」「新世界より『家路』ドボルザーク作曲(午後6時)」「『子守歌』ブラームス作曲(午後10時)」の4回4曲となった。特に正午に流れる「芭蕉」は芭蕉翁の句から作られた曲で、芭蕉顕彰への深い思いが込められている。
伊賀市のミュージックサイレンは、戦後復興の1つの象徴であり設置場所は変更されたものの、60年以上市民に郷土の音風景として親しまれ続けてきた。なお、当機と同じミュージックサイレンで現在も演奏を続けているのは、大分市トキハ百貨店のみ。当ミュージックサイレンは極めて貴重である。 戦後の地方都市が歩んだ歴史を物語る歴史資料として保存の措置を講ずる必要があると定義された。
ミュージックサイレンの大きさは、長さ3・7㍍、高さ0・4㍍奥行き1㍍。中央にモーター、両側に2枚1組の羽根車2組(合計4組)、制御装置として音曲カム(オルゴールに似た構造で櫛状の金属板がドラムに付いている凹に下がる仕組み)や鍵盤式スイッチがあり、アルミ製保護建物(長さ4・4㍍、幅1・5㍍、高さ2㍍)内に設置されている。装置は、屋上コンクリート基礎に設置されたミュージックサイレン本体と制御装置(旧庁舎2階)からなる。定刻にスイッチが入るとモーターが起動し、羽根車が回転すると同時に音曲カムが回転して羽根車のカバーが開閉し、空気が通り抜け音が出る仕組み。1日4回各々50秒間演奏されている。音は天候や風向にもよるが、約2~3㌔は届くと言われている。無機的でなくオルガンのような音楽的な音が今もなお響いている。