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伊賀再発見 No192 ご当地最強のトラ 高虎!

新年あけましておめでとうございます。新型コロナウイルス感染者は一時期に比べればずいぶん減ったかに見えるが、その変種「オミクロン株」が新たに見つかり、日本でも予断を許さない状況にある。そんな厄(やく)は何としても早く追っ払いたいもの。今年はトラ年である。寅(トラ)といえば鬼門封じ。災難を避けるお守りとして知られる。そうだ、何とかトラにあやかりたい。そう思って周りを見回すと、いた。藤堂高虎さんがいるではないか。高虎は勇猛果敢、その一方で知略があり、外様でありながら徳川家康に最も頼りされた男である。その人物を年頭に改めて思い起こしてみたい。
訪ねたのは郷土史家の山口浩司さん(53)。日本民俗学会会員だが、郷土史にも詳しい。さっそく名張市内にあるトラにまつわる事跡を紹介してほしいと頼むが、はかばかしい返事がない。「それよりトラだったら藤堂高虎(1556~1630)がいるのではないですか」と逆にヒントをもらう。「そうだ、高虎がいるんだ」とすぐ納得する。高虎といえば、養子として迎え入れた高吉を実子・高次が生まれたとたん、名張に押し込めたと理解する人が多い。しかし、山口さんの見方は別だ。「名張藤堂家は2万石。そのうち名張の領地は5千石だけ。4分の3は松阪方面にありました。名張の場合、47~49村のうち高吉の支配するのは8か村だけ。あとは藤堂本家の領地でした」 高吉の領地が名張全体であるかのように考えてはいけない。名張への支配力は一部だった、といいたいのである。そういわれれば赤目町の古刹・延寿院には高虎をはじめとする藤堂本家の位牌(いはい)や供養塔があるのを思い出す。あのあたりも藤堂本家の領地だったのである。それよりも高虎が伊勢、伊賀を家康から拝領したのは大坂城に拠点を置く豊臣方に対抗する意味があったと山口さんは考える。「高虎の上野城は井伊の彦根城と共に大坂方へのにらみをきかすため。名張も初瀬街道という人の行き交う街道筋にある。いざというとき街道を押さえる意味がある。高虎が一族の高吉を配置するのは不思議でも何でもない。当然だったと思いますよ」 戦略的地政学的な意味がそこにあったと考えるのである。朝鮮出兵のトラ退治で有名な熊本城の加藤清正(1562~1611)と高虎との意外な接点を教えてもらう。……
続きは令和4年1月1日号の伊和新聞に掲載しています。
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