伊賀再発見 No193 赤目の霊峰 妙法山で石碑調査
活動を20数年ぶりに再会した「名張金石文研究会」は昨年暮れ、赤目四十八滝渓谷にある霊峰の中心、妙法山の山頂にある石碑を約40年ぶりに再調査した。高さ1㍍を超す大きな凝灰岩で、4面に刻銘がある。その西面には慶長13年(1608年)の銘が読み取れる。この地は古くから行者、修験者の修行地とされてきた。藤堂家の祈願所でもある延寿院の管理地で、今回、同寺の了解を得て登った。表面はコケで覆われ、判読がむずかしくなっていたが、会員がコケをはがし、拓本を取った結果、おおよそ読むことが可能になった。それにしてもこんな険しい場所にわざわざ刻印する求道者の執念には驚かされる。
この日、名張市赤目町長坂の延寿院の境内に集まったのは15人ばかり。最近ではだれも登ったことのない妙法山にこれから登るのである。会長の松鹿昭二さん(79)が背後の山を指さし「あれがその山。400㍍くらいの標高があるはず」という。しかし、どの山をいうのか分からない。赤目峡谷にはいくつか山が見えるからだ。配られた資料写真では赤目滝山(蓮華山)とあり、6つの山名が書いてある。全体を滝山と呼び、そのうち真ん中にあるいちばん低いのが妙法山とある。
延寿院の寺伝によれば、藤堂高虎が伊賀に入国したとき妙法山に入り、領国の守護山として定めたというのだ。その後、同所は藤堂家の祈願所にもなり、聖地として尊ばれるようになった。それが分かると、何となく恐れ多い気分さえわいてくる。
「赤目四十八滝渓谷保勝会」の増田成樹さん(60)の案内で登り始める。同渓谷の正面入山口ではなく裏道を通るのである。10分ほど上ると左手に小さな小屋跡。いまは全くの廃屋である。「ここに茶店があったのです」と誰かが教えてくれる。ということは昔、このあたり、けっこう人通りがあったのである。間もなく、セメントで固めた石段が見えてくる。ここはかつて参拝の道だった。石段を登り切ると峠に出る。横にかつての休憩小屋が残っている。そこから真っすぐに下る道がある。この道はどこに行くのだろうか。「八畳岩のところに出るよ」と教えてもらう。近くには不動滝、千手滝がある。そこは行者の修行場なのである。昔から修行者たちが通った道に違いない。
保勝会の増田さんが、右上を指して「この急坂を登ります。足元が悪いので気を付けてください。滑落して死者も出ていますから」と注意を呼び掛ける。言われて見上げる。距離は目測で頂上まで100㍍ほど。しかし、急斜面である。道もよく分からない。そのうえ滑落者も出た、と教えられるとよけいに足がすくむ。参加者の平均年齢はどう見ても60歳をはるかに超えている。自分自身、大丈夫かいな、と不安になるが、ほかのだれもそんなことを気にしていないようだ。みんなどんどん登り始める。これは負けるわけにいかない。木の根っこにつかまり、岩の角っこに手を掛け、8分ばかりで頂上に到着する。しかしこんな登山、最近では経験したことがない。見下ろすと本当に急だ。行者さんは登ったのだろうが、高虎はほんとうに、ここまで登ったのだろうか。そんなことを考えてしまうほどの急坂だった。
頂上は縦横6~7㍍の平たんな場所。ほぼ中央に高さ110㌢、幅210㌢、奥行き155㌢の大きな岩。全面がコケで覆われている。この石の4面に文字が刻まれているのである。会員の今西正己さん(67)は、1979年にここを調査したという。実に42年ぶりの再訪である。西側は急峻なガケ。ここから滑落すればひとたまりもない。ふと横を見ると、枝に木札が掛かっている。「妙法山 410㍍、イセ 何某」と書いてある。伊勢からのハイカーだ。登山者でも登りたくなる山らしい。
さっそく作業に取り掛かる。会員がヘラで慎重にコケをはがしに掛かる。谷戸実さん(65)は持参した紙で上面を覆い刷毛でしめらせていく。拓本を取るためだ。「水でぬらすと刻銘がよく読めるのです」と谷戸さん。言われた通り、上面に刻まれた文字がくっきりと浮かび上がっている。……
続きは令和4年1月15日号の伊和新聞に掲載しています。
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