名張市 能登半島派遣職員が報告会
貴重な教訓を持ち寄る
能登半島地震発生後の被災地に派遣された名張市職員による現地での活動報告会が、5月22日市役所で行われた。1月4日から派遣された災害派遣医療チーム(DMAT)や緊急消防援助隊の2分野以外の、避難所運営支援、応急給水活動、下水管渠被害検査、被災建築物応急危険度判定、災害時学校支援チーム、住家の被災認定調査の6分野にわたって報告され、参加した約60人の職員は熱心に視聴していた。
派遣されたのはDMATが述べ8人、緊急消防援助隊が同27人、避難所運営支援が同14人、給水車派遣が同13人、下水道管渠被害検査が同4人、被災建築物の応急危険度判定が1人、家屋被害調査支援が同4人、災害時学校支援チームに同6人、合計77人に上る。なお5月25日から避難所運営支援に1人が派遣されている。
避難所運営支援
避難所運営支援で輪島市の門前公民館に1月14日~20日まで派遣された情報政策室の由川晃規さんは「インスタント麺や飲料水が過剰に供給される反面、野菜などは不足し野菜ジュースや果物ジュースによる補給のみであった。また様々な対応に追われ、在庫数量の把握が困難であった。輪島市では避難所の数が最大160か所に上り、圧倒的な人不足。名張でも同様なことが予測される。事前に避難所の収容人数、物資や機材などの設置スペースを把握しておき年に数回、避難所運営訓練を実施しておけば、災害時に役に立つのでは」と提言した。
下水管渠被害検査
下水道建設室の東本秀人さんは、4月9日~14日まで珠洲市に「下水道施設における2次調査支援」で派遣された。災害査定資料の作成を目的とした、マンホールや下水道本管の流下能力や異常原因の構造的障害の程度を詳細に調査するのが業務。テレビカメラを使って下水管内を調査・報告した。東本さんによると「珠洲市の下水管は延べ約100㌔あるが、調査に約3か月で連日90人が従事した。名張市の下水管は総延長が約260㌔で珠洲市の約2・6倍。1日約230人の従事者となる。実施期間は約8か月。宿泊先含め、多くの人員を受け入れる体制が必要」と指摘した。
被災建築物応急危険度判定
都市計画室の安部哲弘さんは1月17日~19日まで「被災建築物応急危険度判定派遣」で穴水町に従事した。指定地付近を回り、判定する建物に「要注意」や「危険」の判定をして、ステッカーを張る活動をした。「穴水町役場に判定本部が設置されていたが、殆ど現地職員は見かけず、本部運営も他市からの人が行っていた。現地職員が張り付いて運営することは困難であったと思われる。名張市でも、援助を受けて運営できるよう日頃からの準備が必要。会場設営、机・椅子・ホワイトボード・地図など備品の準備、写真データを集約するパソコン、電源の確保はもちろん宿泊所も必要となり、日頃から想定しておくことがたくさんある」と指摘した。
災害時学校支援チーム
桔梗が丘東小学校の水本憲二さんは「三重県災害時学校支援チーム」の一員として2月9日~15日、主に輪島市立門前東小学校に派遣された。従事した業務は児童生徒の学習支援、学習環境整備で「家が住めなくなり、いつも通っていた学校も通えなくなり、学用品や生活の場など、大きな喪失をした子供たちにも、できるだけ普段通りで日常の学習活動の空気を作りたいと思った。避難所や困難な場所から通ってくる子供たちも多いので、登校時などはとにかく元気で明るく挨拶を心がけた。授業中に大きな余震(震度4)があり、子どもたちを避難させたが、子どもたちは非常に怖がっていた。しかし怖がりながらも冷静な様子に、日頃の学級内の関係づくりや避難訓練の姿が、そのまま実際の避難の姿に現れていると感じた」と日頃の学級つくりの大切さについて感じたことを話した。
住家の被災認定調査
名張市立病院事務局総務企画室の瀧本雅樹さんは「輪島市内各地の住家における被災認定調査」で4月15日~21日迄、市内各地の被害認定調査(1次調査に対して不服があった被災住家について実施する2次調査)を行った。「判定によって支援内容が変わるので、被災者の気持ちを汲んであげたいと思ったが、判定は公正に行わないといけない」とジレンマを語った。「地震から4か月経っても輪島市朝市通りなど、倒壊焼失した建物はそのままで、焼け跡の臭いも残っている。復旧・復興のためには引き続きの支援が必要」と語った。
報告を聞いた北川裕之名張市長は「本日の活動報告を各部局で議論し、提案すべきは提案し、明日は我が身として全体で共有して欲しい」と訓示した。