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平時の支え合いが活きた 能登半島地震後の氷見市の実践

伊賀市社会福祉法人連絡会主催の「平時の取り組みが活きた能登半島地震後の支え合い~富山県氷見市の実践から学ぶ~」講演会が2月2日、伊賀市文化会館さまざまホール(西明寺)で行われた。1部は講演会、講師は氷見市社会福祉協議会事務局次長・森脇俊二氏。2部は伊賀市の職員等も交えた報告会と座談会。
富山県氷見市は、能登半島の付け根に位置する。令和6年1月1日の能登半島地震の時輪島市は震度7であったが、氷見市も震度5強。家屋の全壊233戸、半壊~大規模半壊502戸、一部半壊~準半壊6809戸、幸いにも死者はいなかった。避難所35カ所開設、避難者数最大6、000人(人口の14㌫)。断水被害約1万4千世帯(全世帯の80㌫)。断水は行政が管轄するメイン管は1月21日に復旧したが、個別の住宅への引き込みは4月までかかった。人口42、866人、17、423世帯、高齢化率40・2㌫の氷見市。地震後の個別支援活動において、日頃の活動が大きく果たした背景と役割についての講演であった。
ケアネット活動
氷見市においては小学校校区毎に21地区の社協が組織化され、個別支援型地域福祉活動に発展してきた。誕生したのは「ケアネット活動」。高齢者に限らず支援が必要な全ての人を対象に、見守り・声かけ・ゴミ出し等の「ちょっとしたサポート」を、地域住民が複数人でチームを組み、支援する活動で無理のない範囲で支援を行っている。日常の活動が災害時に活きてくる、これは外国人も助かっている。緊急時に、避難を決意するのに最も効果があるのは「声かけである」。
いのちのバトン
各地区の社協では、住民に服薬情報や緊急連絡先を情報シートに記入し、それを筒状の容器に入れて冷蔵庫等に保管してもらっている。これを「いのちのバトン」と呼んでいる。緊急時に消防隊員が冷蔵庫から情報シートを取り出し活用する。これは4枚複写になっており、自治会や民生委員、地区社協・市社協で管理・共有している。同意書があり、導入時に本人に署名してもらい、ケアネットや個別支援に活用している。
福祉防災マップ
▼福祉の視点から「支援が必要な住民の把握」。1人で避難が困難な人、気象情報や避難情報の収集が困難な人、外国人(日本語が分らない)、高齢者、障害者、乳幼児とその保護者など。▼防災の視点から「地域の危険箇所の把握」。避難時の危険箇所、災害時に危険な箇所。これらの情報を要支援者の住居と共に地図上に落とし込んで「見える化」し、災害時の支援に活用する。平時から避難訓練に利用し、防災マップや要支援者リストは、作るのが目的ではなく手段であり、把握した情報を日常的な見守りや支援につなげる。地域課題が見えるように定期的な更新が大事。
小地域による日頃の個別支援活動が震災後に果たした役割として、日頃からのケアネット活動×いのちのバトン×福祉防災マップ&リストが地震発生後の支え合いや地域の体制強化に非常に役だった。
地域福祉サポーターの設置
災害時や緊急時、民生委員や福祉相談サポーターは、1人であれもこれも抱え込んで大変なことになる。そこで、氷見市では、地域力を高めるための新たな人材として地区社協会長の推薦で、市社協が主催する講座(4回)を受講した人を、地域福祉サポーターとして委託している。民生委員候補者や、元民生委員など多彩な人々が活動している。
森脇さんの講演は、多岐にわたり豊富な事例が話され、約200人の参加者は熱心に聞き入っていた。家屋が全壊して途方に暮れている老夫婦が引っ越し、引っ越し先が受け入れるまでサポートする社協の活動も、結局はケアネットの延長であることが分った。
2部では氷見市に相互支援で派遣された、伊賀市の職員の体験談等が交わされた。コロナが発生し感染者専用の部屋を作ろうとしたが、体育館の中でやっとの思いで段ボール等でプライベートな空間を守っている人に、移動を頼むのは絶対不可能であることが分った。感染者用の隔離場所は、当初から用意しておくべきという話が印象に残った。
名張市のつつじが丘で、民生委員と防災士をしている女性が「災害時に、逃げましょう!と誘っても、ほっといてくれ!と言って絶対動かない人がいる。結局は日頃の声かけで、人間関係を作っておくことが大事だとよく分った」と話していた。

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