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沖縄戦の悲劇を追体験 赤目中学校で平和学習

第2次世界大戦末期、約20万人の人が亡くなった沖縄戦。それを経験した沖縄の人の思いを知り、これからの平和や戦争について考え行動する力になれば、そのような主旨での平和教育の授業が1日、名張市立赤目中学校で行われた。本土と違って沖縄では米軍が上陸した地上戦となり、多くの民間人が命を落とした。生徒らは悲惨な戦争の一面をワークショップで体験。生徒は1年生約100人、講師は「うなぁ沖縄」代表で、平和教育・主権者教育を行う玉城直美さんらが行い、実際に読谷村の「ガマ」(珊瑚礁の自然壕)で起こった出来事を追体験して、戦争の悲惨さを学んだ。
米軍が読谷村に上陸した。生徒らは戦争避難民として、警防団の本部になっていて見知らぬ人ばかりの1000人ぐらい入れる大きなガマか、家族や知り合いと一緒に生活できそうな、目立たぬ小さなガマかどちらかを選ぶことを迫られた。90㌫ぐらいの生徒が小さなガマを選んだ。小さなガマに入ると日本兵がいた。小さなガマが米軍に見つかり「出てください、出てください、何もしないから出てください」と呼び掛けてきた。これから誰と行動するかを決めなければならない。米兵は鬼のように怖いと聞いている。玉城さんは史実通りに選択肢を示した。日本兵、中国帰りの看護師さん、親戚のおじさん、知り合いのおばさん、知り合いのお姉さん、自分のお母さん。どれも小人数ずつで、大半の生徒は自分のお母さんを選んだ。生徒たちが並び直し終えた後、玉城さんは史実を伝えた。
「日本兵と親戚のおじさんは、捕虜になるくらいなら自決するという考え方で、あなた方の命は無くなりました。中国帰りの看護師さんは、満州で日本兵が捕虜をひどい目に合わせている、ひどい目に合うくらいなら自決すると言って、あなた方の命も無くなりました。知り合いのお姉さんは、米兵に乱暴されるくらいならお母さんの手で殺してくださいと言って、あなた方の命も無くなりました。お母さんは、子どもだけ残されては可哀そうだから、一緒に死のうとあなた方も亡くなりました。知り合いのおばさんは、ここで死んだら戦争に行った夫に会えない、私が家族の命を守ると言ってあなた方の命は守られました(拍手が起こった)」。
続いて「大きなガマにはハワイ帰りの移民が2人いて、英語が話せるので中には日本兵がいないことを米兵に話し住民の保護を求め、米兵は人を殺すことはないと人々を説得し、1000人全員の命が助かった」と言うと会場がどよめいた。
この後生徒たちは「悲しい、戦争は絶対ダメ、世界で同じように戦争で逃げている人がいるだろう」など気持ちを書いたシートから言葉を選び「自分たちも逃げてみて怖かったし、今もなお、同じような思いをしている人たちがいる」と感想を述べた。
このガマの悲劇は、生存者による手記があり「母親が我が子を、おじさんが子供を殺してしまった。同じ地域に住む住人同士でこのようなことが行われた」ことが一部朗読された。住人同士殺し合ったことは、誰にも言えず誰も言わず、ずっとみんなで黙っていたが、同じ過ちを繰り返さないように公表されるまで38年も掛かったという。軍の命令、大人の命令、先生の命令等々で、多くの子どもたちが犠牲になった。ガマで犠牲になった子どもたちの80㌫は小学生だった。「集団自決という言葉があるが、最近では、集団死とか強制集団死という言葉を使っている。皆さんは、この言葉を心にとめて覚えておいてください」と玉城さんは念を押した。
西浦蒼裕君(13)は「生き残ることが凄く難しいと思った。自分は日本兵を選んだが、守ってくれると思ったのに、まさか殺されるとは思わなかった。戦争が始まると止めるのは大変なので、先ずは話し合う事が大切だと思う」と話した。

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