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薦生遺跡発掘調査(第2次)現地説明会

名張市薦生(こもお)の薦生遺跡で8月6日、現地説明会が開かれた。この遺跡は県道建設工事により本格的な発掘工事が昨年春より始まり、昨年は官衙(かんが・古代の役所)とも考えられる東西30㍍、南北6㍍以上の大型の掘立柱(ほったてばしら)建物跡等の建物群が発掘された。
今年度はその東に隣接する約1500平方㍍(東に80㍍南北20㍍弱)で、5月から発掘調査が始まり奈良時代(約1300年前)の遺構として竪穴建物が見つかり、中世(平安末~鎌倉)の遺構として井戸や柱穴が発掘された。竪穴建物は3㍍~4㍍の方形のもの3棟が見つかり、1棟には石組のカマドが残っていた。昨年度確認された掘立柱建物との関連性について注目されたが、現地で説明にあたっていた三重県埋蔵文化財センター職員の原田さんと樋口さんによると、土器などの出土遺物が今回は非常に少なくて、関連性が見当たらない。ただ竪穴建物の質としてはグレードが高く、役所的な掘立柱建物の官舎であったかもしれないとのことだ。
薦生遺跡は名張川沿いの台地上にある縄文時代から中世までの遺跡。古代や中世には「薦生牧(こもおのまき)」鎌倉時代には「薦生庄(こもおのしょう)」と記されていて、大和から伊賀や伊勢など東国へ向かう道があり、周辺には奈良県山添村の毛原廃寺や岩屋瓦窯跡(がようあと)等が点在している。従って掘立柱建物群はその道沿いにある官衙(かんが・古代の役所)ではないかと推測されている。  午前10時から始まった1時間半の説明会の参加者は約140人。熱心な人ばかりで、美旗から来た山岡忠男さん(70)は「この辺りはヤマト朝廷や律令国家体制の東端にあたり、大変興味深い。昨年発掘された掘立柱建物と、奈良への途中にある毛原廃寺(大きくて立派な礎石の謎のお寺)とは同じような時代で関連があるのではないか?と考えていた。今日の説明会を聞いて、当時を思い起こすとワクワクしてくる。話は変わるが、源義経の娘婿の源有綱城(薦生城)が近くにあるので、これから行ってみようと思う」と歴史マニアが好奇心いっぱいで語ってくれた。
昨年発掘された掘立柱建物群は全てデータ化されて、現在はコンクリートを流せば完成するばかりの道路(県道上笠間八幡線道路改良事業)の下にある。通常の遺跡の場合は、そのまま土を被せて復元不能であるが、この遺跡の場合、形状を守る工夫をして工事を進めているとのこと。

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