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「令和の学校」ってどんな学校 No60 公立小中学校を訪ねて(中)

1990年代後半、「ゆとり教育」推進のスポークスマン的役割を果たしていた当時の文部官僚寺脇研氏(現学校法人瓜生山学園京都芸術大学教授)と話す機会があった。その時寺脇氏から「20世紀の学校と21世紀の学校の違いは何だと思う?」と尋ねられた。私は「コンピュータが教育に取り入れられるのでは」と答えた。丁度Windows95が発売され、多くの人が購入した時であり、自分自身も興味を持っていた時でもあった。氏は「確かにそれもあるが、一番の違いは、20世紀の学校は先生中心に行われているが、21世紀の学校は先生外の人が学校にいる。そうした人々が子どもの教育に関りを持つ学校になる」と言ったが、イマイチ実感がわかなかった。

経験主義から系統性重視へ
1947(昭和22)年、「憲法」「教育基本法」「学校教育法」が制定。新しい学校制度が定められ、その学校で教える具体的な内容を示す「学習指導要領・試案」が作られた。この「学習指導要領」はその後、試案から法的拘束力を有するものとなり、ほぼ10年ごとに改訂されていくことになる。試案は、子どもたちの経験を重視する単元に偏りすぎるとの声から、1958(昭和33)年の改訂では各教科の系統性を重視する内容になる。しかし、多くの内容を指導しなければならない状況から、今度は「つめこみ」や「新幹線授業」と言われその結果、授業についていけないいわゆる「おちこぼれ」が課題となり、児童生徒の非行問題が顕在化してくる。次にこうした状況の反省の上に立ち、学校生活や授業に「ゆとり」を持たせることが必要との考えから、1977(昭和52)年の改訂では、授業時間数の削減、教育内容の精選が行われ、同時に学校裁量として週1時間「ゆとりの時間」が設けられた。1989(平成元)年の改訂では、小学校1・2年の社会科と理科を廃止し、新しく生活科を設けた。時を同じくして、当時の中曽根康弘首相は、総理大臣の諮問機関として、「臨時教育審議会」を設け、政府全体として21世紀を展望した長期的な観点から教育について論議が始まった。その答申では、「生涯学習体系への移行」や「個性重視の原則」「国際化、情報化など変化への対応」などの教育改革を推し進める契機を作った。「ゆとりの時間」は「学校裁量の時間」として、各学校で学習内容を検討し、それぞれの学校の創意工夫による授業を行うこととなった。

危機管理とボランティア
当時、国民の生活は、「バブル景気」(1985~91)の高揚感の中、労働時間の短縮や週休2日制の導入などが行われた。(1992年公務員に導入)。学校においては、1992(平成4)年9月12日から第2土曜が休業日に、1995(平成7)年4月22日から、第2・第4土曜日が、2002(平成14)年4月6日から毎週土曜日が休業日となり、学校の完全週5日制が始まった。時代が「昭和」から「平成」へと変わったこの時期は、生涯学習や生涯スポーツという言葉に代表されるように、その利用場所を学校に求めた。学校の図書館や体育館などを一般に使ってもらう「学校開放」が呼びかけられ、各教育委員会主導の下、各学校が「開かれた学校」として施設の開放を行った。しかし、2001(平成13)年6月に発生した大阪教育大学附属池田小学校における無差別児童殺傷事件を契機として、学校の安全管理が問われ、各学校では校門の施錠や児童の登下校の安全確保などに取り組んだ。教育委員会や学校では、学校施設の一般開放を行う上での、安全管理マニュアル等を作成し、利用者への周知を図った。また、児童生徒の登下校の安全について、保護者や地域住民にお願いすることにし、地域に「見守りボランティア」等の組織が出来た……

続きは令和4年11月19日号の伊和新聞に掲載しています。
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