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「戦争はいや!平和のつどい」平和を考え語りつぐ

2023平和のつどい実行委員会主催、名張市・名張市教育委員会後援の「戦争はいや!平和のつどい」が8月20日、名張市産業振興センターアスピア(南町)で開催された。テーマは「語りつごう平和を・くりかえしてはいけない悲惨な戦争」2013年から続けて今年は11回目となる。
午前10時から開催された展示のモチーフは「戦争って、平和ってどんなこと?家族みんなで参加して話し合ってみませんか?」ロシアによるウクライナ侵攻の写真、戦後78年風化しつつある日本の戦争の歴史、東アジアで日本が関わった事件の写真、寄せ書き入りの日章旗の遺品、子どもたちが訓練していた鋭くとがった竹やり、銃剣術訓練用の木製の銃、出征兵士を送る旗、アルバム、書物、戦中の暮らしを表す一升瓶に入った玄米と木の棒、防空頭巾、そして「原爆と人間」の多くの写真パネル、とりわけ広島市立基町高等学校の生徒たちが、被爆者から直接聞いて作成した原爆の絵は、見る者の心を震わせ圧倒した。資料としての価値も大変高いものだった。会場入り口から見て正面に巨大な原爆ドームの絵が描かれており、来場者がメッセージを書いて貼り付けるようになっていた。核兵器禁止条約に署名・批准した68か国の旗を1枚1枚手作りした旗のパネルにも強い思いが感じられた。
午後、北川裕之名張市長が来場し「ロシア・ウクライナの死傷者数が50万人になり、亡くなった人は19万人になるという。子どもたちに何を伝えるか、悲惨さをどう伝えるか。高校生が筆を取って絵を描く。知識はあっても想像では描けない。被爆者の話を聞いて何度も描き直すことは、彼らにとって凄いプレッシャーだし、ストレスだと思う。本当の現実を描くことは大変な作業だ。戦争を伝えることは平和教育の中で大切なことだが、どうして戦争になったのか、どうして止められなかったのか、それらを伝えていかねばならない。こうして毎年伝えようとしている皆様に感謝する」と挨拶した。
午前中は、紙芝居「あおよ、かえってこい」と児童文学「すみれ島」の朗読があり、午後は、曽和道子さん(桔梗が丘・95)の「戦争体験と平和への思い」、柴由可里さんと恵流奈さん(小5)親子(梅が丘)による「原水爆禁止世界大会(長崎)に参加して」の報告を聞いた。
曽和さんは、95歳とはとても思えないしっかりした声と話しぶり。「小学校3年の時、志那事変が始まった。勝ち進んでいく話ばかりで、子どもたちも元気が良かった」「愛国行進曲」をしっかり歌って当時の雰囲気を表した。「『手柄を立てる』『勝つ』ということがどういうことか、相手があることを子どもは知らない。勝たねばならない精神を植え付けられていった。昭和16年12月7日太平洋戦争が始まると、学生も勤労奉仕や防火訓練など訓練の時間が増えた。女学校2年の時、敵国語禁止となり英語の授業が無くなった。4年の時学徒動員で久居の軍需工場に1年間住み込みで働くことになった。広島に原爆がおちた2日後、電車に乗っていた父親が爆撃され亡くなり、その1週間後終戦となった。玉音放送では、全身の力が抜けた」終戦後の食糧難や不自由な生活の話しに続いて「終戦後半年して届いた、東南アジアに出征していた兄が戦死していたこと。戦争は嫌です。日本は大丈夫かと今でも思うことがある。どうか皆さん力を合わせて平和が続くよう頑張ってください」と結んだ。
「長崎の原水爆禁止世界大会に参加して」の柴さん親子の話は、まず娘の恵流奈さんが「私が生まれた時から戦争は無くなっていない。どうすれば戦争が無くなるのだろう。戦争を始めた人は誰だろう。何故まだ続いているのだろう。何故人が死ぬのを笑う人がいるのだろう。何が面白いのだろう。自分がお婆さんになる迄戦争は続いているのかな。自分はこれらの真相が知りたい」とコメントを読み上げ、大きな拍手を浴びた。続いて母親の由可里さんが、広島と長崎の原爆に対する対応に「怒りの広島と、許しの長崎」と、県民性を含めて印象を元に分析したのが興味深かった。
最後に「声をあげる高校生たち~核兵器禁止条約に署名・批准を~」のビデオが上映された。核兵器禁止条約への署名・批准を求めて高校生たちが2021年10月、原宿から署名活動を始め、コロナ禍の中で悩み、途惑い、励まし合いながら、沖縄の高校生も含め、1万3642筆の署名を外務省に届けた。高校生たちのひたむきな行動が、核兵器のない世界に希望をつなぐ。ビデオの最後のテロップが終わっても、見ている人たちは感動で暫し、誰も立ち上がらなかった。
事務局の羽口和彦さんが「高校生たちの活躍を見て元気をもらった。私たちも少しは次の世代に役立っているのかもしれないと思えて、気分が明るくなった」と、希望が見えた面持ちで話していた。当日の一般参加者は約100人ほどであった。