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市郷土資料館で春季企画展「ようこそ名張へ」

古代から名張市を訪れた歴史上の人物や集団は多く、その代表的な人々を取り上げ紹介する企画展「ようこそ名張へ」が、安部田の名張市郷土資料館で7月17日まで開かれている。
名張市は古代から東西交通の要所であり、文献にもたびたび登場する。今回は有名な人物から、あまり知られていない人物など10組を取り上げて文献と共に紹介している。
紹介する人物・集団は、名張に米作りを伝えた東海地方の弥生人。倭姫(やまとひめ)伝説。壬申の乱の大海人皇子(おおあまのみこと)と、その娘で昌福寺(夏見廃寺)を建立した大来皇女(おおくのひめみこ)。聖武天皇。常陸の国から春日神が名張に立ち寄り、奈良に向かい春日大社を創建したという春日三神の遷幸(せんこう)伝説。東大寺学僧の宗性(そうしょう)。名張での紀行文を「菅笠日記」に記した本居宣長。60年に一度起こった伊勢おかげ参りの人々。1878(明治11)年に名張を訪れた英国の女性作家イザベラ・バードの10組。
中でも春日三神の遷幸は、古代、名張川が大和の水運を担う重要な河川であり、物流だけでなく、精神的な意味でも大和の東の入り口であったことを意味すると、資料館職員の門田了三さんが教えてくれた。
宗性は東大寺の学僧で名張の矢川別所で多数の宗教書を執筆したが、その環境を整えたのは先輩の僧聖玄と言うのが興味深い。聖玄上人は、名張から東大寺への松明調進を始めた人で、伝説の道観長者と同一人物ではないかと言われている。
聖武天皇関連の項に、奈良時代に起こった天然痘の大流行を「古代のパンデミック」として解説がある。当時の日本の総人口の25~30㌫に当たる100~150万人が亡くなり、流行は伊賀名張にも及んだという。人々は疫病を防ぐため、使い捨て出来るよう安価なカワラケのような土器を使っていたが、その破片がごみと共に大量に見つかっていて、パンデミックの有様が再現されているのがリアルだ。
イザベラ・バードは来日時に名張にも訪れ、紀行文を1880年に出版した。展示で示されている紀行文「イザベラ・バードの日本紀行」(講談社学術文庫)の名張での出来事や風景の描写が美しく、三本松近くの旅館の描写「ヌシトヤマ旅館は美しい木津川(宇陀川)の上の切り立った高台にあり、縁から川の鋭い曲面が見下ろせるのですが、川はそびえたつ崖の下で日差しを浴びて輝き、そこに緋色の蔓草が下がっています」を読んだので、思わず現在の場所を探したくなり車を走らせた。初瀬街道沿いの三本松にあり、漆喰壁の歴史的な建物が並ぶ宿場町。彼女が見た渓谷の手前を現在は近鉄電車が走っていて、室生トンネルの東口付近であることが分かった。
開館は、午前9時30分~午後4時30分、入館無料。月、木曜日は休館(ただし祝日の場合開館し、翌日休館)。お問い合わせ先は、電話0595・64・7890まで。