昭和29年⑥ 市議選は稲森登がトップ当選

名張市初の市議会議員選挙は昭和29年8月14日告示、29日投票という日程で行われた。3月の市制実施時に議員任期が半年延長されたため、旧1町3村の議員72人は8月末日で任期満了を迎えた。選挙戦では定数30を現職21、新人13の34人が争い、候補者は真夏の炎天下で激戦を展開。30日に開票が行われ、現職19人と新人11人が当選を果たした。4月に市長選挙、8月に市議会議員選挙というタイムラグはその後も引き継がれた。市議選は夏の盛りの過酷な戦いとなり、候補者は真っ黒に日焼けして投票日を迎えるのが恒例だったが、市長選挙と同時に実施することで有権者の負担軽減や投票率向上、経費節減などを進めるべく、昨年3月に市議会が自主解散して4月17日に初の同日選挙が実現したことは記憶に新しい。ちなみに投票率は、昭和29年が93・3%、昨年は56・02%だった。
伊和新聞は投票日まで1か月を切った8月2日付紙面で初の市議選をこう展望した。
《今回の選挙は実質においては新生名張市の第一回の市議選であり、新市建設の礎石をきずく役割をおわされているだけに、市民の関心にもいつもとちがった異常な切実さが感じられるが、今次市議選の特色としては大体つぎの諸点が挙げられる。
一、村落部では有権者の数からして当選確実の定数を割出し、立候補者をこの定数に協定していわゆる〝安全戦術〟をとる
二、旧町部ではかかる協定は不可能で乱立の傾向がある
三、各地区とも立候補者は現議員が圧倒的で、新顔はごく少数と思われる
四、立候補者の中には少数の革新系分子もいるが、民主団体をバックとするいわゆる
〝統一候補〟は一人もなく、選挙戦はすべて保守一色の中で地区代表の選出という形である
五、定員三十に対し立候補者は四十一、二名とみられる》
翌日開票で30人の新議員
投票日の8月29日は朝から晴天が広がり、有権者は続々と投票所に足を運んだ。正午現在で投票率は60%を上回り、午後6時の締切前にはどの投票所もひときわ混雑した。
開票は翌30日午前8時から行われ、同日付伊和新聞は次のように伝えた。
《市役所前には選挙運動員や市民が詰めかけ掲示板に見入り数字の加わる度にざわめきが起り、得票を記入するもの、連絡に走るものなどあり、いつもながらの開票風景をみせ、各候補者の選挙事務所も一喜一憂の表情をみせ緊張した場面もみられたが、結局午後一時三十分開票の終了で三十名の新議員が決定、ここに市民の関心を集めていた市議選挙は無事終幕した》
新人が健闘し旧村は堅実に
初の名張市議会議員選挙は合併当時の滝川村長だった稲森登がトップ当選を果たして幕を下ろしたが、稲森は三重県議会議員選挙立候補のため翌昭和30年3月25日に辞任することになる。
8月30日付伊和新聞は初の市議選をこう振り返った。
《新人の十一名当選という事実は市民が従来の議員の手腕行状にあきたらず、また財政緊迫化の折柄市政刷新への意慾なり希望が具現化したものと観ることが出来るし、また総体的にみても上位を占めている点も注目される。
旧町部と旧村部の分布をみると旧町部は十四名出馬し、十一名が当選、三名が落ちたに対し、旧村部は二十名の出馬に対し十九名が当選、一名が落ちたことになり、この結果からみるとやはり旧村部が当選第一主義の堅実な立候補ぶりを示していたことが判る》
改選後初の市議会は9月8日に開会され、議長に上村進一郎、副議長に山口猪之助が選出された。
令和5年7月8日付伊和新聞掲載
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