昭和31年(2)計画より早く赤字財政を克服

昭和31年5月18日、名張市の第15回臨時議会が開かれ、深刻な赤字財政を建て直すために地方財政再建促進特別措置法の適用を受けることが決議された。8月27日に開会した第16回定例会では措置法にもとづく財政再建計画と資金借り入れに関する議案が審議され、30日に原案どおり可決。38年度までに6600万円の赤字を解消する計画が正式に決定した。市長の北田藤太郎は9月4日に上京し、自治庁に計画書類を提出したほか関係省庁などを回って7日帰着。翌8日に市役所で「財政再建の議決書類は自治庁で受理された。再建債の資金借り入れについては大蔵省で再建計画が検討され、借り入れの時期、公募債、政府債の割り振りを決めることになる」と報告し、名張市の財政再建はようやくその緒に就いた。
35年度に黒字計上
名張市長として赤字財政と格闘した北田藤太郎の回想を引いておこう。回顧録『ある人間史』にはこんな経緯と判断、心境が述べられている。
《名張市の赤字は合併という特殊条件のため以外にふくらんだ面もあるが、こんな条件がないにせよ、地方自治体の財政は全国的に深刻な赤字財政におちいっていた。政府はこの財政危機を救済する便法として三十年十二月に地方財政再建促進特別措置法というのを作った。これは赤字を解消するため財政再建債という起債を認め、おおむね七、八年で償還させるというのが骨子であった。しかし、これの適用を受けるとなれば準禁治産の宣告を受けたようで、行政面で国からいろいろの制約を受ける。
だから、この法律は地方自治体の自主性を損なうというので、革新側からは悪評であった。しかし、名張市の場合、赤字の急場をしのぐにはこの法律に頼るよりほかはないと判断して、三十一年五月四日の市議会全協で発表した。予期したように社会党、共産党の議員から反対論が出たが、議会としては全員で特別研究委員会を作って、すでに適用をうけている他市なども視察して同月十八日に臨時市議会を開いて、「事情やむなし」ということで適用を申請することを可決した。
六千六百万円の財政再建債で一応赤字を解消し、これを八か年で償還するというのであった。
償還のためには市の事業面は極度に圧縮せられ、行政水準の低下も予想できるので、とくに市民の協力を求めるため『市広報』臨時号を発行し、その中で私は次のように訴えた。
「投資的経費は三十一年度の規模を基礎に逐次高める方途を進め、人件費は三十一年度を上昇せしめず、物件費その他において極力抑制しようとするものである。
この間に立って行政規模の合理化、組織の簡素合理化により、最低限度の規模を維持しつつ本市の財政能力に適合する状態に整備し、もって更に一層の行政事務の機能を発揮せしめようと意図するものである。これが遂行には原則として、①赤字解消のための増税は避ける。②予定計画規模の諸事業は進める。③赤字解消を完行する。決意である」
この頃から私の赤字に対する苦闘が始まる。これと職員給与のデコボコ是正には身のやせる思いをした。町長、市長を通じ二十数年に及ぶ在職中、この三、四年は本当に苦難の時代であった》
財政再建は当初予測より早く達成された。昭和38年度まで8年がかりで赤字を解消する計画だったが、36年9月6日にまとまった35年度決算で一般会計が331万円の黒字計上となり、北田のいう苦難の時代は終わりを告げた。
商工会から商工会議所へ
昭和31年、名張市の商工業界も重大な課題に揺れていた。混乱を招き、波紋を広げていたのは名張商工会議所の設立準備だった。
商工業者の団体には大正6年ごろ発足の名張町商工会があり、太平洋戦争による活動中断のあと昭和22年に復活したが、29年の市制実施を機に名張商工会議所を設立する動きが始まった。
昭和31年2月18日には設立発起人会が開かれ、その席で商工会議所創立総会は6月10日と決められたものの、発起人会の不透明で独断的な運営手法に批判が相次ぎ、設立準備は難航を極めた。
それを受けて2月23日付伊和新聞は「名張商工会議所の設立に批判高まる」と題して関係者の意見を掲載。11人の見解や疑問、不信などが次のような見出しで報じられた。
▽岡村繁次郎「立地条件から考えて いますぐ設立の理由なし」本町・書店
▽川崎英吉「会議所設立より まず外郭道路の改修」新町・ふとん商
▽池田仁七郎「はたして運営できるか」名張魚市場社長
▽井上伸治「補助金に依存する 他力本願はいかぬ」鍛冶町・東洋木工社長
▽山北光之助「市内業者への利益 この点が判らぬ」本町・製靴商
▽木原大五郎「大都市附合いだけの 会議所では困る」松崎町・薪炭商
▽梅田金助「研究不十分の感」中町・金物商
▽川北清一郎「下からの盛上りでない ここに不安がある」松崎町・朝日ファスナー社長
▽石田正「裏に何らかの意図が?」中町・化粧品店
▽山村彦九郎「設立コースも逆で 動機に無理がある」名張市商工会代議員議長
▽上村進一郎「適任人物を」市議
市内業者に無関心の空気
つづく2月27日付紙面では「町内の空気を探る/元町、新町、上本町はじめ/業者の関心薄い」との見出しで町単位の商工会が示した反応を《全般的にみて市内業者間に〝無関心〟の空気が濃厚で[略]この無関心的空気は前途にただならぬ不安と危機を感じさせている》と報じた。
混乱は収束の気配を見せず、紆余曲折を経て名張商工会議所が誕生するのは2年後、昭和33年3月1日のことになる。
令和5年10月14日付伊和新聞掲載
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