昭和31年(3) 趣向を凝らし盛大に名張祭り

名張祭りが近づいた。正式には平尾に鎮座する宇流冨志禰神社、通称お春日さんの秋季例祭。名張の秋一番の盛祭として親しまれ、本来は10月27日が宵宮、28日が本祭だが、現在は土・日曜の開催。今年は28日に宵宮、29日に本祭を迎える。新型コロナウイルス感染症の影響で令和2、3年はみこし巡行などが中止を余儀なくされ、昨年は規模を縮小して催行されたため、今年は4年ぶりの通常開催となる。とはいえ人口減少が進んで巡行行事の担い手が減り、往年のにぎわいは望むべくもない。今年は秋祭り実行委員会がみこしや太鼓台などの担ぎ手募集を試みたが、どんな名張祭りがくりひろげられるだろう。67年前、昭和31年の伊和新聞10月25日号は祭礼を控えてそれぞれ練りものに趣向を凝らす町々の空気を伝えている。
昭和43年発行の名張民俗研究会編『名張の民俗』は「宇流冨志禰神社の祭」の章で祭礼の「出し物」をこう説明している。
《子供みこし、獅子行列、武者行列、鹿行列などほとんど戦後の案出だが、他の地方にはあまり例をみない伝承的な〝出し物〟に太鼓台がある。電信柱ほどもある太い二本の丸太の上にヤグラを組み、大太鼓をすえて町内の子供衆が威勢よくドンツクドンツクたたく。それを町内の若い衆がかつぎ、御神輿のように右に左に揺さぶりながら練る。松崎町・元町・東町・新町などにあるが、青壮年層の不足で、出ることが少なくなっている。だから、子供みこしなど子供中心の〝出し物〟にかわったのだが、その子供もだんだん減って、祭の景物はさびしくなって行く》
昭和43年、つまり55年前の時点で、すでに青壮年層の不足や子供の減少が始まっていたことがわかる。
祭礼の日だけ町民が士分に
祭礼も時代とともに変化する。『名張の民俗』はこんな「宵宮の行事」を伝えている。
《27日。この日の午後、頭屋は親戚、懇意な知己を招待する。招客はいずれもカミシモ姿だ。めったに見られない異風景である。これは江戸時代に祭の日だけ町民が士分になることを領主藤堂家から許されたことに由来するといわれる。むろん家紋入りの提灯は付き物。膳の献立は地区によってちがうが、それぞれ古来からの規格がある。
夜八時、四頭屋の年当子父子・招客一同は行列をつくってお旅所に集まる。ここで宵宮祭を行い、盃の儀がある。境内では朝日町・南町の獅子神楽が舞う。やがて神社から七度半の使いが来る。これは市域ではここだけに残る遺習である。神職が神社からお旅所まで七度むだ足して八度目の途中で迎えるという形である。
この七度半の使いによって頭屋の一行は松明を先頭に神社に向う。道中、口々に「ネンド、ネンドエー」と大声で呼ばわる。招客はいずれも一ぱい機嫌、たいへん威勢がよい。
宵宮の参詣客ににぎわう街を練って、一行はやがて神社に着く。ここで、境内に四頭屋が一本ずつ立てた四本の大松明に火がつけられる。炎々と燃えさかる明かりの下で平尾の獅子神楽(平尾の獅子衆が不足で、現今では朝日町・南町)が奏せられる。
頭屋・招客一同は参籠所に昇って、整列着座、神前では御湯神楽、衣冠束帯姿の神職が本殿から参籠所に渡って祝儀の口上をする。各頭屋の配膳係が神前から甘酒をいただいてきて、柄付銚子で頭屋に献じる。帰路は招客一同自由解散。これで頭屋がおこなう宵宮の祭事が終わる》
令和5年10月21日付伊和新聞掲載
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