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陶芸家・小島憲二さん

自然を愛し 古伊賀を愛し 子どもを愛し
小島さんは、1955年愛知県生まれ。母方の親族は皆ものづくりを生業としており、その影響を受け、「陶芸家になったのかな」と言う。高校卒業後、1973年から備前で小西陶藏氏に師事。陶芸の基礎基本をはじめ、礼儀作法や物の考え方など、人間としての生き方を徹底的に叩き込まれたという。1979年、知人の紹介で伊賀丸柱に居を構えることになるが、当時は長男陽介さんが生まれた間もないころ。「子守をしながら、主人と一緒に家の周囲の竹やぶを切り拓いた」と京子夫人は笑いながら話す。使い古したレンガなどをもらい受け、試行錯誤しながら築窯、本格的に陶芸家としての道を歩み始める。
伊賀丸柱は、桃山時代に多くの茶道具が作られた土地。陶土を焼きぬいた土肌、焼成時に薪の灰が降りかかる釉薬、箆(へら)目や歪みを馳駆した造形美など、日本人独特の茶の湯の美意識が反映された古伊賀。小島さんが魅せられた「自然から与えられた美しい焼き物」。しかし、小島さんの創作意欲はこれで終わりではない。「どうしたら新しい伊賀焼が生み出せるか」
野球は日本の国民的スポーツ、どこにでもチームがあり、試合が行われている。特に少年野球は。「甲子園球児に、プロ野球選手に」と指導者は情熱を注ぐ。小島さんも、地元の少年野球チームの監督を10数年引き受けた。バスケットボールの経験はあるが、野球は素人。
技術的なことは、経験のあるコーチに頼み、子どもたちが野球を楽しめるようにするのが監督の役目と、土・日の練習は欠かさず子どもたちのところに行く。「何の仕事をしているのか」と子どもから尋ねられたことがある。「家や仕事はほったらかし」と京子夫人は言う。
「プロにならなくてもいい。野球が好き。スポーツが好きになってくれればいい。好きなことを続けてくれれば」と子どもたちに期待する。「優勝したことはない。でも、伊賀・名張の高校野球の主将全員が、私のチーム出身であった時は嬉しかった」と懐かしそうに語る。「子どもはアイデアの宝庫。子どもたちと話しているといろんなアイデアが湧いてきて、創作意欲が掻き立てられる」という。
伊賀焼のルーツをと夫婦でシルクロードを旅する。土器、布、樹皮画など、心を動かされるものが目に留まると購入したくなる。「お金は貯めない、が小島家の決まり」と小島夫妻は声を揃える。一期一会の世界。プロの眼と手が品を見極め、一流の作品を日本に。
小島ファンのため、毎年沖縄で展覧会を開いている。コロナ禍の今年1月、毎年来る人が今年もやってきた。作品の前で動かない。どれほどの時間が経ったのか、姿が見えなくなった。数日後、再びやって来て「あの作品、まだありますか」。迷って迷って一度はあきらめたが、どうしても欲しくなったようだ。実は買い手が決まっていたが、先方に了解してもらい、その方に購入してもらった。小島さんは「あれほどの思いに心打たれた」と言う。
伊賀焼は自然のエネルギーから生まれる。釉薬の元となる藁や薪になる赤松なども自然環境の変化とともに昔とは変わってきた。古伊賀から伊賀焼。さらに新しい伊賀焼へと。
「もう一度原点に戻ろう」小島さんは、今ある窯を壊して、新しい窯を作ることを決めた。小島さんは言う。「子どもたちが憧れる仕事になれば」。自然を愛し、古伊賀を愛し、子どもを愛す。豊かなアイデアと溢れ出る創作意欲、そして旺盛なチャレンジ精神。陶芸家小島憲二の創作活動は更なる高みをめざして歩み続ける。
「小島憲二の眼と手と―古伊賀憧憬―」は9月13日から10月10日(午前10時から午後4時30分、火曜休館日)、伊賀市ミュージアム青山讃頌舎(伊賀市別府)で開催。問い合せ先は伊賀市文化都市協会・0595-22-0511まで。入場料は一般300円、高校生以下無料。(なお予定が変更になる場合があるので、必ずHP等で確認を)

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