昭和29年⑤ 高く掲げた田園観光都市構想

名張市誕生の前年、昭和28年の第1回全日本観光映画コンクールで最優秀賞を受賞した「お伊勢まいり」(日本新映画社)という映画がある。上映時間23分。同年の第59回式年遷宮を機に製作が進められ、冒頭には字幕で「この映画は第五十九回伊勢神宮御遷宮と三重の観光を皆様に御紹介するため御遷宮前に製作したものであります」と三重県による告知が入る。出演は昭和を代表する喜劇役者だった三木のり平と、のちにNHK連続テレビ小説「おはなはん」などの放送作家として活躍する小野田勇。両人が伊勢神宮をはじめとして北は桑名から南は志摩まで、近鉄電車を乗り継いで県内の観光名所を訪ねるコメディタッチのロードムービーだ。映画で観光をPRするこの試みが示すとおり、戦後の混乱がようやく収まった昭和25年ごろ以降、復興の有効な手段として観光振興が全国で注目を集めていた。発足直後の名張市が歩もうとしたのもまさしく観光による発展の道であり、伊和新聞の紙面にも「観光」の2文字が躍る。
市章の山と田と滝
ここで名張市の市章に触れておこう。名という漢字をモチーフとして、上部は自然に恵まれた山々と田園を、下部は滝の清らかな流れを表現したこの市章は、昭和29年5月18日締切で市民から公募され、6月1日付で制定されたが、図案募集の要項には「田園観光都市としての名張市を象徴したもの」とのテーマが規定されていた。
観光の中核は赤目四十八滝
北田藤太郎が市長として高く掲げたのが、町長時代から練りあげてきた田園観光都市構想だった。回顧録『ある人間史』には《名張市の発足にあたり、私は新市建設の基本方針として次のような政策を打ち出した。町長就任いらい私がえがきつづけた田園観光都市の理想像の追求である》と「新市建設計画書」を引用しているが、いかにも公文書然とした堅苦しい文章だから、代わりに5月21日付伊和新聞に寄せた市長メッセージ「名張市制を祝し」から引こう。
《人口三万余の未完成の名張市でありますが近畿日本鉄道が大阪、宇治山田、名古屋を結ぶ中間名張駅は伊賀の表玄関であり、天下の景勝赤目四十八滝並びに香落渓をいだき静かに流れる宇陀川、名張川の交流する所に拡がる観光の町名張はその名の通り美しい自然、澄み切った空気は衛生的無病の地、健康な地、住みよい住宅地として恵まれた交通の便と共に京阪神の郊外住宅都市として近く五万の産業観光都を目指してその整備を期しているのであります》
北田は赤目四十八滝を観光の中核に位置づけていた。昭和25年に毎日新聞社が主催した日本観光地百選で赤目四十八滝が70万票あまりを集めて瀑布の部第1位に輝き、一気に全国区の知名度を得て訪客が急増していたことも北田の方針を後押しした。
赤目の山は古来、山岳信仰の聖地とされ、観光地化が進んだのは近代のことだ。明治31年、玉置熊吉、藤本若松ら地元の有力者が赤目保勝会を結成、渓谷の保護と開発に乗り出して道路敷設などに力を注いだのがその第一歩で、昭和5年、大阪と伊勢を結ぶ参宮急行電鉄(現在の近鉄)が開通し、赤目口駅が開設されたことにより大阪の奥座敷としてさらに親しまれていった。
年々減少する観光入込客数
赤目四十八滝を中核とした観光振興がどう進められたのか、具体的に知ることはできないが、昭和36年に現在の日本サンショウウオセンターの地に水族館が開設されたのもその一環だっただろう。
名張市発足直後の赤目四十八滝への訪客は年間31、32万人前後で推移しており、昭和30年に31万5052人、伊勢湾台風で被害を受けた34年には25万2811人、35年には31万0789人という記録が残る。
だが30万人を超えたのは平成8年までだった。名張市が今年3月に発表した「名張市観光戦略(2023改定版)」は延べ入込客数が平成29年に14万1839人、令和3年には10万8676人だったと伝え、こんな分析を記している。
《赤目四十八滝の観光入込客数は年々減少しています。観光客の年 齢層をみると40歳代から50歳代までの層に人気で、20歳代から30歳代までの層の取り込みができていません。また、忍者修行体験をはじめエコツアーの参加者が大きく減少し、運営するNPО法人赤目四十八滝渓谷保勝会の経営を苦しめています》
《2020(令和2)年度から始まった赤目渓谷「幽玄の竹あかり」での来場者アンケートでは、「土産物店が閉まっていて残念」「食事や買い物ができなかった」といった声が多くみられ、観光客の減少や経営者の高齢化等により門前界隈の土産物店の開店日数も減少しているように見受けられます》
そうした現状を打開して観光の再生を図るべく、「名張市観光戦略(2023改定版)」には4つの基本戦略を柱とした振興策が提示され、新たな動きが始められている。
6月10日付本紙が「赤目地域観光再生に着手」と報じたとおり、観光庁の支援を得て滝門前周辺を「赤目小町」として整備、プロモーションを展開する構想が明らかにされた。延べ入込客数は平成4年、ついに10万人を切って9万6865人に落ち込んだが、6月定例会の補正予算案に関する記者会見で北川裕之市長は「まずは20万人まで回復したい。官民一体となって、観光地としての魅力のブラッシュアップに取り組む。ぜひ成功させたい」と意欲を見せた。
北田藤太郎が七十年前に名張市の発展を託した観光が、令和の時代にどんな新しい展開を見せるのか、北川市政に期待がかかる。
令和5年7月1日付伊和新聞掲載
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