昭和30年③ 鉄筋校舎の完成を地域で祝福

昭和30年10月10日、名張小学校新校舎の竣工式が営まれた。8か月の工期で誕生したのは鉄筋三階建て、18教室を備えた近代的な校舎だった。父兄は5日から7日まで校舎周辺の整地作業に参加、職員や学童も清掃に力を合わせた。ほかに先生たちはお金を出し合って新旧校舎の連絡に便利なナショナルテレポンなる通信機器の購入を決定、中町のみわや時計店からは新校舎1階に設置する大型時計寄贈の申し出があった。竣工式には関係者600人が招かれ、新校舎前庭で喜びを分かち合ったが、10日付伊和新聞の予告記事は《時代の流れに沿い慣例となっている折詰の類は一切廃し、万事簡素の中に落成への感激と感謝の念をたぎらせることに努める》と財政面の苦労も伝える。とはいえ地域社会の中心地に位置する教育の殿堂が面目を一新したとあって、祝福は地域社会全体にひろがった。
講堂が全焼し屋内体育館に
名張小学校の工事はこのあと第2期、第3期とつづけられ、現在の校舎が整うのは昭和40年代のことになる。
昭和46年2月14日には講堂が全焼する災禍に見舞われた。日曜午後2時頃のことで、講堂内図書室付近から出火。休日返上で奉仕作業に精を出していたPTA役員が煙に気がつき、窓ガラスを叩き割って講堂に飛び込む。校舎からは校長と教諭2人が消火器を持って駆けつけたが、火はたちまち燃え広がった。
結局、名張消防署と市内消防団の手で消し止められたのは午後3時過ぎのことだった。昭和11年完成の木造の講堂は黒焦げの残骸となり、翌47年に完成する屋内体育館が講堂の機能を担ってゆく。
子供たちも名張の秋祭り
10月も中旬に入ると子供たちは名張祭りを心待ちにして気もそぞろになる。平尾に鎮座する宇流冨志禰神社の例祭は27日が宵宮、28日が本祭。名張の秋祭りとして広く親しまれ、奈良県からも参詣者が訪れる盛祭だった。町筋は宵宮の日からさまざまな露店が並び、多くの人出でごった返す。
本祭には太鼓台、だんじり、子供みこしなど町に伝わる練りものがくりだしたが、これに加わる子供たちは学校が朝から休み、それ以外の子供たちも午前中で授業が終わって午後には秋祭りを楽しむことができた。
現在の名張祭りからは想像できないにぎわいだが、10月27日付伊和新聞の秋祭り奉賛広告からも祭礼の盛大さと商店街の繁栄ぶりがうかがえるだろう。
令和5年8月12日付伊和新聞掲載
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