昭和30年⑨ 火災から1年後に新庁舎竣工

名張市発足2年目の昭和30年も押し詰まった12月22日、新しい市役所の竣工式が営まれた。前年12月24日の火災で半焼した旧庁舎の跡地に鉄筋3階建ての庁舎が誕生した。12月5日付伊和新聞によれば20日までに道路や内部施設の整備、搬入など、20、21両日に事務移転が行われ、竣工式に先駆けて18日には市民を対象に参観の機会も設けられた。大正12年建築の木造庁舎から生まれ変わった近代的な姿に目を見張った市民も少なくなかったことだろう。着工は6月1日、設計は内藤設計事務所、施工は清水建設。庁舎建設の経費総額は備品費なども含めて3150万円だった。前年の火災以来、役所としての業務は名張小学校の講堂で行っていたが、竣工式の式場にも講堂が使用され、地元選出国会議員をはじめ550人の来賓が出席した。空では新聞社3社の飛行機が祝賀飛行を行ったという。
「新興文化都市へ」
名張市長の北田藤太郎は12月22日付伊和新聞に寄せた「竣工に寄せて」をこう結んで決意を示した。
《私は真の民主主義に徹した平和日本の再建は何はおいても先ず市町村自治体の充実発展向上にありと確信いたしますが故に、新らしい鉄筋庁舎が完成して輪カン[輪奐=建築物が広大で立派なこと]の美をなした喜びの中に更に私は職員とともに研サン[研鑽]、忠勤を励み、以て真に明るい、住みよい新興文化都市を建設いたすことを市民の諸賢と念じつつ本日のお祝の言葉といたします》
昭和30年に完成した新しい市役所は行政の拠点として機能し、32年後の62年12月、鴻之台に完成した新しい庁舎にその役目をバトンタッチする。跡地には平成8年4月、総合福祉センターふれあいか完成した。
7市町村のエリアが確定
町村合併の動きを見ておこう。昭和28年9月に施行された町村合併促進法は31年9月までの時限立法で、30年10月1日に発表された全国の合併状況は目標の84%だった。名張市の市域は29年3月の合併でほぼ決まったが、旧上野市は周辺の村との合併を重ねていた。
昭和30年1月に名賀郡の依那古村、比自岐村、花垣村、2月に阿山郡丸柱村の比曽河内(諏訪と改称)、3月には名賀郡の神戸村、32年7月には古山村(大字南だけは名張市へ)を編入合併し、8月に上神戸の上庄田が上野市から名張市に編入されて伊賀地域7市町村のエリアが確定した。名張市を除く6市町村の合併によって伊賀市が誕生するのはそれから47年後、平成16年11月のことになる。
写真=昭和30年12月22日に竣工式を迎えた名張市の新庁舎
令和5年9月30日付伊和新聞掲載
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