昭和32年(6) 再建途上で2大祭典スタート

発足4年目の昭和32年、財政再建の途上にあった名張市は初の産業祭と美術展を催した。どちらも12月25日開幕という歳末の日程だったのは、商工会の年末大売り出しとタイアップした企画だったからだ。市長の北田藤太郎は「市報なばり」12月号に寄せたメッセージで《市の体制は財政の再建計画の軌道にのってたゆみなく進んでいる現状であります》と報告し、市制実施4周年と市庁舎完成3周年を記念したこの2大祭典と年末大売出しで《市内は一段の賑やかさを呈することと期待いたしております》と狙いを明かした。産業祭は名張小学校で2日間、前年まで地区単位で開催されていた農業祭を統合し、商工関係も加えて展示即売会などを展開。美術展は名張中学校に3日間、絵画、美術工芸、写真、書道の4部門の公募作品を審査して展示した。以後も毎年開き、今年が第66回だった。
「市報なばり」12月号は産業祭の開催要項を掲載し、目的は《名張市産業をセンターとし農本思想の普及振興を図り近代産業の発展に寄与すること》にあると説いていた。田園観光都市を目標に掲げ、農業と観光を2本の柱として歩み始めた名張市のスタンスが明確にうかがえる。
市長として田園観光都市構想を主導した北田藤太郎は回顧録『ある人間史』で昭和32年をこう振り返る。
《七月に木屋町にあった木材市が黒田に新設され、唯一の地場産業が一歩前進をしめした。
十二月に第一回の市展を開いた。
そうこうしているうちに、三十二年は暮れ、三十三年の幕があける。そこに乾坤一擲の市長選挙が待っていた》
写真=昭和32年12月25、26両日、名張小学校で開かれた第1回産業祭
令和5年12月9日付伊和新聞掲載
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