昭和30年⑤ 川崎家との縁でふるさと発見

早稲田大学を卒業した江戸川乱歩は大正5年8月、川崎克の口利きで大阪の加藤洋行に就職する。同じく代議士だった川崎の知人加藤常吉が経営する貿易会社で、乱歩は南洋との交易を担当して多大な利益を得るなど有能さを発揮したが、会社に住み込んで同僚と共同生活する息苦しさに耐えられなくなり、翌6年春に無断で退社してしまう。川崎の面目は丸つぶれになったが、それでも9年2月、前年11月に結婚したものの無職状態だった乱歩から就職の世話を頼まれると、とくに叱責もせず東京市の社会局という勤務先を斡旋した。しかし欠勤つづきで早くも7月に解雇をいい渡され、乱歩はまたしても川崎の顔に泥を塗ってしまう。にもかかわらず川崎はけっして見限ることをせず、若き日の乱歩の支援をつづけた。乱歩もまた川崎を人生でただ一人の先生と呼んで生涯敬愛を捧げた。
先生と呼ぶにふさわしい人
川崎克の没後、江戸川乱歩はみずから編集した『川崎克伝』(川崎克伝刊行会、昭和31年)に寄せた「先生に謝す」に克への敬愛を記した。
《六十年の過去を振り返って見ると、私にとって「先生」と呼ぶにふさわしい人物は、川崎先生のほかにはないのである。しかし、以前には、口先では先生と呼んでいても、心から先生と思っていたわけではない。それが、ここ数年来、いつとはなく、私には川崎克先生のほかには「先生」と呼ぶ人がないということを、強く感じるようになった。今では「先生」と呼ぶ唯一の人と思っている》
克の次男秀二は明治44年、大阪市生まれ。乱歩より17歳年下で、乱歩と同じく早稲田大学政治経済学部を卒業し、昭和10年にNHK入局。戦時中は中国大陸を転戦し、その経験から戦後は日中友好運動に力を尽くした。
秀二の選挙で初の応援演説
昭和21年4月、戦後初の総選挙が行われたが、克は陸軍参与官を務めた経歴から公職追放となって立候補できず、全県1区の三重県選挙区で地盤を継いだ秀二が定員9人中5位で当選を果たした。
昭和22、24年の総選挙は全県2区となり、定員5人の第1区で連続トップ当選に輝いた秀二は、27年10月1日投票の第25回総選挙で乱歩に応援演説を依頼した。乱歩は28年1月の「ふるさと発見記」にこう述べている。
《どうして、今さらのように、名張町を訪ねたかというと、それには三重県北部から出ていた代議士、故川崎克先生のことから説明しなければならぬ。私が早大在学中から、川崎先生には随分御厄介になり、卒業すると就職の世話をしてもらい、それから小説家になるまでの六、七年間、度々職業を転々したうちの半分ぐらいは川崎先生の口利きで就職している。何度しくじっても、こりないで面倒を見て下さったのである。そういう恩義がある上に、今の改進党の川崎君は私が青年時代に川崎家に出入りしている時分、まだ小学校にも行かない幼年で、お伽話を聞かせたり、海水浴に連れて行ったりして、おもりをした間柄であり、その秀二君から、今度の選挙には一つ応援演説に来てくれと頼まれると、政治には全く門外漢の私も、つい行ってみる気になり、実は生れてはじめて選挙演説というものをやったのだが、その演説地の一つに名張町があったという次第である》
昭和27年9月26日、秀二の個人演説会はお春日さんの愛称で親しまれる平尾の宇流冨志禰神社で催された。乱歩はこう回顧する。
《会衆は場に溢れ、神社の境内まで一杯になって千人に近いかと思われるほどであったが、会が終ると、まっ先に私のところへやってきたのは、川崎びいきの料理旅館業「清風亭」の主婦と、町で一ばん大きい本屋さん、岡村書店の主人であった。この岡村さんが、私を捕まえると、いきなり、あなたの生れた家を知っているから、御案内しましょうというのである。しかし、もう夜も更けていたので、それでは、私は今夜は清風亭に泊ることにするから、あすの午前中に、一つ案内して下さいと頼み、演説会の一行とともに、清風亭に入ったのだが、すると、そこへ土地の有力者や、新聞記者などが集まった中に、富森自転車店の主人がいて、この人がまた、私の母を見知っている老媼があるから、その人に会わせようというのである》
出生地記念碑町民が企画
9月26日、演説会を終えた乱歩は生家があった場所を知っているという町民有志の申し出を受け、鍛冶町の清風亭に宿泊。翌27日午前、新町の生家跡に案内され、さらに父親が勤めていた丸之内の旧郡役所なども訪れる。
伊和新聞は9月29日付紙面で「生まれた家を探しあて/探偵作家の感無量/名張に来た江戸川乱歩氏」との見出しを掲げ、新町の辻家で乱歩が《私の母を見知っている老媼》と記した昔と対面したことなど、2日にわたった「ふるさと発見」を詳しく伝えた。
つづいて10月16日には「乱歩の出生地記念碑/名張 桝田医院の中庭に」として生誕地碑建立の動きが報じられる。発起人の中心になったのは本町で書店を営む岡村繁次郎だ。
岡村は明治28年生まれ。乱歩より1歳年下で、乱歩が生まれた借家のオーナー横山家から妻を迎えていたが、この横山家は衆議院議員選挙で川崎克と、ただ1度だけだがライバル関係になったことのある旧家だった。
写真=川崎克氏(右)と川崎秀二氏
令和5年9月2日付伊和新聞掲載
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